2021年2月25日木曜日

母校の中学校が廃校になるというので、いままで温めていた地元活性化案を思いつくままに書き綴ってみた

 

私の母校である愛媛県八幡浜市の愛宕中学校が廃校になるという話を聞いた。市内と海を見下ろす高台にあり、ちょっと坂道を登るけど、いい運動になる。リンクのビデオがその学校の周りをちょっと歩いたときのもの(適当に撮ったので、手振れがひどいですが見てみてください)。

これを少し降ったところに、私が子供の頃大好きだった児童館がこれも閉じられたまま、利用されず廃墟っぽくなっている。その下には町で一番大きな神社もある。学校から少し登ったところには赤い小さな鳥居がいっぱい並んだ、プチ伏見稲荷のようなお稲荷さんもあって、そこはかつての私たちのマラソンコースでもあり、横を通る時ちょっと怖かったが、京都で1番人気の観光地が伏見稲荷ということを考えると、これも活かす方法がありそう。ここ、ちょっと散歩するには本当にいい場所なのだ。
ここに、見晴らしのいい銭湯&飲食施設などあったら、草野球した人が利用するんじゃないだろうか。海を見下ろすカフェとか。
この場所にもう少し桜の木を植えて(少しはあるが)、ここを運動公園のようにして、建物は集会所や市民の憩いの場として使えばいいと思う。体育館もあるし、少し下ったところにある児童館も活用できるはずだ。
そうそう、校庭とは別にここにはテニスコートもある。学校にはプールもあるし、そういえば、音楽室とかは大きな音の出せる楽器の練習の場にもなるはず。音楽を楽しむ拠点を作れるかもしれない。家庭科室はお料理教室だってできる。元学校というスペックをフルに生かした活用法が考えられる。
そして、これはずっと考えていたことなのだが、山の下にあるシャッター商店街と繋いだウォーキングマップを作りたい。地図を作るくらいなら、そんなにお金もかからないし、地域活性のとっかかりとして。
ウォーキングマップのことは、最初、シャッター商店街に人を呼ぶためのアイディアとして考えていた。高齢化の進む地方の町で、駐車場がないために人が来なくなった商店街。アーケードもあるので、雨の日も濡れない。晴れの日は可動のアーケードを開けて、青空散歩道にする。これからは予防医学も重視される世の中である。この商店街をウォーキングロードとして、途中に休憩ベンチなども置き、ウォーキングマップを作って、距離や消費カロリー、途中のお店などを書き込む。閉まった店やその前はキッチンカーやカフェなどやりたい人に安く場所を貸す。そして、山の上の中学校廃校後の運動公園とつなぐ。
そういえば、4月に行われる市長選で、新人の対抗馬が、港にある道の駅と商店街の間の通りに店を誘致して、港と商店街をつないで活性化したいという案を出しているらしいが、ならば、そこからさらに、山の上の見晴らしのいい場所までを繋いで、市内中心地をめぐるウォーキングマップを作ってはどうかと思う。是非、私に作らせて欲しい。
途中には知る人ぞ知る地元出身の建築家・松村正恒の建物(上記の児童館もそうじゃないのか??)である旧図書館(閉館中)や、ヴォーリズ設計ではないかと言われる教会とかもある。いわゆる古民家もいくつかあるみたいだ。それらが活かせれば、かなり街の空気は変わると思う。旧図書館の2階はミニシアターにするのもあると思う。もちろん、新しい建物など極力建てない。耐震補強して、リフォームする程度。
そうそう、港にはボロい港湾ビルがあって、そこから海と出ていくフェリーを眺める景色が泣ける。今、別場所に新しい港湾ビルが建てられているが、この古いビルも壊さず残して、「海に落ちる夕日を眺めるカフェ」になったらいいのにと思う。今あるレストランの海側に窓をつければそれだけでいいと思う(なぜか海側が厨房になってて、窓がない)側面にテラスもあるし。耐震的にどうしようもなくて壊すとしたら、ここに小さなカフェを作ろう!夕日を見ながら飲むコーヒー。朝は東側に山を見ながらモーニングだ。
そういえば、この町はトライアスロンのコースもあって、大会が開けるらしい。だとすれば、健康増進の町を標榜することもできる。病気にならない健康自治体を売りにして、港に揚る美味しい魚や柑橘類もアピールできるかもしれない。
「観光」という点で見るとあまり派手でもないし、経済効果は分からないが、地域活性化の一番は、地元の人間がどれほど使えるものを作るかだと思う。
もしかしたら、これは長年、地元を離れている私の発想であって、地元の人はこういうものを求めていないという場合もあるが、地域活性化というと、新しい箱物ばかりができて、風景や文化財が全く利用されていないのを見ると、ちょっと一言口を出したくなる。
でも、昨年10月、一時帰省した時、母の友人(一人暮らし70代後半)は、私たちが気軽に立ち寄れて、集まれる場所を作って欲しいと言っていた。コロナが終息する頃にそういう場所ができているように、計画できないものか・・。
火鉢カフェは都会でこそやりたいけれど、自分の故郷のことも時々考える。「二拠点」ということがこの頃言われるが、自分の生まれた街のことなのだから、ちょっとくらい口出してもいいよね。実家のローンもあるしさ・・。
これを読まれた同郷の方、どう思います?
番組の編集始めないでこんなこと書き始めちゃったけど、これからはこういうことも仕事にしていけたらいいのにと思う。して行けたらという前に、実際に提案だけでもしてみたい。
そして、この提案の顛末をブログなどで公開して行けたらなって思ったりもしている。


2021年2月17日水曜日

いよいよ明日「絶望の中のユーモア」対話の会。ぎりぎりまで申し込めます!


 
いよいよ明日の開催となってしまいました。

チケットの申し込み、カード決済なら明日まで大丈夫だと思いますので、よかったらご参加くださいませ(コンビニ・ATM払いは本日2月17日中)。


zoomで参加者も対話に参加できる形式で行います。試聴だけされたい方、お名前伏せたい方はニックネームでビデオオフでご参加ください。

「絶望の中のユーモア」というテーマが宇多田ヒカルのツアータイトルからということで、今回、宇多田さんと対談されたことのある方もご参加くださるそうです。なんだか、私よりもずっと言葉豊富に語ってくださる方がいそうな予感。一方的なトークイベントではなく、良い感じに対話できればと思います。

そもそも宇多田ヒカルが「絶望の中のユーモア」というテーマに至ったきっかけが、乳がん発覚と人生のいろんな問題が同時に降りかかり、それをネタにすることで生きる力を取り戻したというティグ・ノターロというアメリカの女性コメディアンのドキュメントを見たことだったようで、そこらへんの話もすることになりそうですが、なんだか今の私は、ティグ・ノターロの状況なんてたいしたことないわよとか、不幸のマウンティングをしてしまいそうで怖いです(笑)。この末尾に(笑)をつけることで客観化しようとするんですが、この(笑)が曲者で、本当はちっとも笑ってなんかいないんですよ。この(笑)の裏側にあるどんより顔が見えますか?そのくらい「絶望の中のユーモア」というのは複雑で、自分にもよくわからない。そんな大それたテーマを掲げて話をしようっていう無謀なイベントです。私にも話がどう展開していくか読めません。参加してくださった方のご意見を聴きながら、それについて応えながら、何か見えてきたら良いなあと思います。

時々刻々と自分の気分も上がったり下がったりして、何もやる気が起こらず、もう死んでも良いのかもなって思ったかと思うと、その日の夕方には文章書こうって思ってたりする。あれもこれもやりたいって思っていたりする。そして、「それでも生きていく」って、坂元裕二のドラマのタイトルみたいな言葉を思い浮かべ、いや、あのドラマの境遇ほどには私は大変じゃないだろ、じゃあ、「それでも」じゃなくて、「やっぱり生きていく」くらいかななんて思い直し、自分の人生も考えようによってはまんざらでもないのかもしれないと、悲劇的な気持ちから脱出する。人生なんて、そんな「脱出」の繰り返しでなんとか生きていくもんなのかもしれないな。ユーモアとはその脱出のことかも・・。

というわけで、これって明日話すべきことだよなってことをここでつらつら書いちゃって、明日話すことあんのか?って自分が心配になりますが、いろんな話ができたら良いなと思います。

真言宗のお寺さんのイベントなので、このところ私がよく言ってる即身成仏とか、托鉢で生きていくとはって話もするかなあ・・。火鉢カフェの話などもできればと。

ほんまによかったら、1000円の参加費がかかりますが、ご試聴だけでもご参加くださいませ。

2021年2月3日水曜日

2月18日高野山真言宗高福院さんのオンライン対話に出演します



2月18日、目黒の高野山真言宗・高福院さんにお誘いを受け、こちらのオンライン対話イベントで副住職の川島さんとお話しさせていただくことになりました。テーマは「絶望の中のユーモア〜コロナな日々を生きのびるために」。コロナな日々を生きのびるというサブタイトルを付けましたが、それは今がたまたまそういう状況だというだけで、より普遍的な話ができればと思います。


常にがけっぷちと言い続けてきた私ですから、このテーマに不思議はないのですが、これは私からの提案ではなく、川島さんからのご提案。私がたまたまTwitterで、宇多田ヒカルのライブ「絶望の中のユーモア」について、「絶望の中のユーモア」というのは私も今もテーマでもあるというようなことを呟いていたところ、宇多田ファンの川島さんがそれをご覧になって、お声がけくださいました。その経緯など、詳しくは以下のpeatixのサイトの告知をご覧ください。
絶望の淵から脱出するためにはユーモアが必要という単純な話でもなく。ユーモアとか笑いというものはいったいどういうものなのかというのも一言では語れない。そして、崖っぷちとはいえ、私自身が絶望の淵に立たされているかというと、現実ががけっぷちなのと絶望の淵にいることはイコールでもない・・・単純には語れないことだらけで、どんな対話になるかまだよくわからないのですが、せっかく高野山真言宗のお寺さんですし、今年の私のテーマである即身成仏による命のサバイバルの話(なんだそれはと突っ込まれそうですが)や、火鉢カフェや寺子屋など人の集まる場作りの話まで、お寺さんのイベントらしい対話ができたらなと思ってます。
大学の先生を招いて哲学講座などもやっていらっしゃる高福院さんのオンラインイベントで、私ごときの話を誰が聞きたがるのか・・という思いもありますが、今回は講座ではなく、あくまでも対話です。宇多田ヒカルの「絶望の中のユーモア」から口火を切りますが、話はどこに向かって行くかわかりません。
ただ、終わった後に、このしんどい時代を生きのびる勇気が少しでも湧いていたらいいなと思います。私自身がその勇気をもっとも欲しています。
なんだか真面目な語り口の告知になってしまいましたが、「ユーモア」って言葉がつくくらいですから、楽しい対話にしたいと思います。でも、笑いってただ楽しいわけじゃないですし、そこらへんも踏まえた「絶望の中のユーモア」を語れればと思います。

zoomミーティングを使って行いますので、参加者の方を交えての対話の時間も作る予定です。是非、参加して、ご発言ください!