2023年4月29日土曜日

21世紀の徒然草① 徒然なるままに〜あやしうこそものぐるほしけれ

本当は早くYouTubeはじめたいのだが、なんか始められないので、今日は今の徒然なる気分を思いつくままに書いてみる。


今は誰もがYouTubeを始める時代。特別なことではなくなっている。特に最近、私の目につくのは、Youtubeで自らの窮状を伝えたり、もしくは逆境から立ち上がった成功体験を語ったり、人生のセーフティネットのような形でYouTubeを使っている例である。よく見かけるのは、わずかな年金だけで暮らす、自らのつましい年金生活を、「貯金残高公開します」などのキャッチーなタイトルとともにアップしているものだ。似た境遇の人が多いのか、万単位の視聴数をかせいでいるものも多い。けれど、テロップの字体や入れ方、ナレーションなしでテロップの説明だけで進行する形式など、作りの似たものが多く、これも人気ジャンルとして、誰かが組織的に同様の動画を大量生産しているのだろう。今や、YouTube専門の制作プロダクションも存在する時代。儲かるネタだと思えばすぐに食いつく。資金のあるものが個人を凌駕。本当に世の中は逞しいと感心する。ぼやぼやしてたら、時代はすぐに移りゆき、無名の個人のアップした動画が注目される可能性はどんどん低くなっている。

それで私も怯んでしまって、なかなかYouTubeを始められないでいるのだが、YouTubeが誰でも自由に動画を公開でき、登録者数さえ満たせば、お金を稼ぐことができるメディアであるのも事実。厳しくはあるが、人からもらう仕事と違って、誰でも始めることだけはできる。

外に出て働くことも厳しく、頼る人もなく、年金も少額で、貯金もないというような人間が生き延びるためにやれることを考えた時、YouTubeは一つのセーフティネットとして、ある意味、行政などよりやくにたってくれるかもしれない。メルカリなどの商品を転売して利ざやを稼ぐせどり的な商売なども含め、スマホやPCを使った在宅で自由にできる仕事が生まれたことで、私たちの世代は一つセーフティネットを得たといえるだろう。

そんな文明の利器を利用しない手はないのである。なのに、私はなかなか始める自信がないままに、こうして、徒然なるままになんて独りごちている。なさけなや。

それに、このところの私は何を語りたいのかという最も重要なことが、自分でもわからなくなっている。こんな身体で、人と違う養生法を選び、人の世話になりながら、迷惑をかけながら生きている。私がいなくなって、困る人がいるだろうか。本当に弱ってしまうのは母だけだろう。母のためには生きていたいが、何のために生きると思うこと自体が現世への執着で、生への執着はかえって命を縮めるのではないかなんてことも頭に浮かんでしまう。
全ては無為自然。そうなれた時に人は悟りを得て生まれ変われるかもしれないとよく知りもしない老子の思想のようなことを思う。
そんな私が、とはいえやっぱり、なんとか回復したいと願いながら、生き延びているこの日々の中から何を切り取って伝えればいいのだろう。読者は何が知りたいのだろう。

私には今の病気が進行して、医者の考えている程度の年限で死ぬつもりは全くない。死を覚悟して、死に支度をする勇気も覚悟もない。死ぬかどうかわからないのだから覚悟なんてする必要ないと思っている。だから、こんなネガティブなことを書きつつも、どこか呑気だ。リモートで話す友人とはまるで平気そうに話している。だから、いわゆる闘病記的なものを書く心境には全くならない。でも世の中に溢れるがん患者の手記はそういうものがほとんどだ。私のようなことを言う人間はオカルトめいてると思われるのだろうか、あんまり求められていないようだ。

とはいえ、毎日、鎮痛剤を飲み、突っ張って動きづらい身体で、よちよち歩いてトイレに行き、キッチンに立って、休み休み調理する。そんな姿は見方によっては悲痛だ。しかし、見方によっては100歳の腰の深く曲がったばあちゃんが、腰が曲がりすぎて、フライパンの中身も見ずに、床を見つめながら曲芸のように炒め物をしている、ちょっと滑稽な風景に見えなくもない。でも、がんの闘病に“滑稽”は求められない。

そして、滑稽だとか自分で言っているくせに、私はこの姿をあまり人には見せたくない。こんな姿を見たら、私ももう長くはないと思われてしまうのではないかとビクビクしているのだ。周囲にそう思われたら、本当にそうなってしまいそうな気がする。嘘でもいいから、全ての人に私は大丈夫と心の中で唱えてほしい。

そんな矛盾だらけ、訳の分からない私の心の中を誰が知りたいのだろう。誰の役に立つと言うのだろう。

歩いての外出は無理。寝る時も座り姿勢でしか寝られない。それでも生活するためには何か仕事をせねばならず、とはいえ、こんな人間にやれる仕事は限られる。というか、何がやれるのか自分でも書くことやしゃべること以外に想像がつかないのが正直なところ。だけど、何を書けばいいのかと思うから立ち止まってしまう。

今の本音を言えば、存在していることが仕事ですと言って、生きているだけでお金をもらえたらいいのにと本気で思っている。

「ゴ〜ロゴロ、ゴ〜ロゴロ、この10円玉が1万円にならないかなあ」というずんの飯尾のギャグが、ギャグではなくなってほしいと思ってるのが今の私。

友人に手伝ってもらって部屋の整理をしていると、小銭が次々に現れて、古い財布やナッツの大きな空き缶に小銭がいっぱいになっている。50円と100円玉は一つもない。10円、5円、1円のみの小銭の壺に手を突っ込んで一握り。我が暮らしなお楽にならざりと、一握の銭を握って、ずんの飯尾になってみる。

いつまでこんな生活が続くのか。

なんだかネガティブ丸出しで、これまでいろんなところで語ってきたポジティブな語りは嘘だったのと突っ込まれそうだが、私の実態はそのくらい弱気だ。もう経済的に尻に火がついてヤバいにも関わらず、いつまでもうずくまって、わずかにやらせてもらえるテレビの仕事にしがみついて、なんとかならないかと思っている。が、実際にはなかなか厳しい。

YouTubeなんてお金にするの大変なんでしょ?と人は言う。

でもさ、YouTubeで生活できるほど稼ぐのが奇蹟なら、今私が目指している病の治癒も奇蹟。どうせ、もともと奇蹟を目指しているなら、仕事の面で奇蹟を目指すのもアリかもな。
でも、こんなこと言ってたら、またダメ人間扱いされるんだろうなあ。

学者の肩書きのある人が「はたらかないでたらふく食べたい」とか言えば、新しい時代の思想ともてはやされるのに、ただの人が似たようなこと言っても怠け者と言われるだけだったりする。学者になれば何言っても大丈夫ってことをわかってる学者はやっぱり頭いいのである。私みたいに、肩書きなんて関係ないと思って生きていけるほどおめでたくはないわけだ。まあ、自分はそういうダメ人間であるということを受け入れて生きていけばいくしかない。

今日のテキストは本当に徒然草的自虐満載。
徒然草の冒頭を口ずさみたくなってくる。

「徒然なるままにひぐらし 硯に向かいて心に移り行くよしなしごとを 
 そこはかとなく書きつくれば あやしうこそものぐるほしけれ」

本当に今回の気分にぴったりだ。
今後のエッセイは 21世紀の徒然草とするべきか。
私の亡くなった父には20世紀の徒然草を書いて欲しかった。そんなことを思う時、私はやっぱり父の娘だと思う。人生、あやしうこそものぐるほしけれ。

でも、こんなこと書いてる時間があるんだったら、YouTube早く始めろよな。
そう自分にツッコミ入れて、今日のネガティブな徒然テキストを締めくくりまっす。

21世紀の徒然草というのは結構いいかもしれない。
マガジンを作っとこう。
というわけで、今後も21世紀の徒然草をよろしくお願いします🥺

そして、永遠に徒然と書き続けられるよう、ご支援お願いします。
以下が火鉢クラブ支援窓口になっています。

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2023年4月26日水曜日

Help! このピンチ助けてください!〜サポートのお願い

しばらく、こちらのブログへの更新が滞っておりました。

このところはnoteに自分の現状などを書き綴っておりました。けれど、そもそも火鉢クラブこそが私の本拠地。将来、火鉢カフェを作る夢は変わっておりません。それが私の使命と思い、今、病をなんとか克服しようと頑張っております。

というわけで、こちらの更新も再開しようと思います。そんな再開最初の投稿が「助けてください!」というのは、どうにも情けないですが、また経済的なピンチがやってきてしまいました。それには、現状、助けてくださいと世の中にお願いするしかないと思いました。

ビートルズの「Help!」の歌詞が今の私にはよくわかる。

今、こうしてなんとかパソコンを叩いてはいられますが、体の状態の波はあり、ここしばらく、とても体が動かしづらく、書くだけの仕事をするのも大変な状況にありました。胸の皮下にできた鎧のようなものは体幹を覆うように、皮膚と筋肉を癒着させ、首を引っ張り、体を硬直させ、パソコンを打つだけでも、体に響きます。座っているだけでも大変な状態です。

ただ、これまで鉄やタンパク質などの欠乏で多かった抜け毛がぐっと減ってきたり、よいことも起こっていますので、命を諦めず、自分の使命に向かって進んでいきたい。

人間生きていくにはお金がかかります。医療費もかかります。体を動かしづらく、仕事があまりできなかったせいで、現在、経済的にピンチが訪れようとしております。

自分の責任ではあると思いますが、運も悪かったとも思います。現在、頼る親族もおらず、母も私が扶養せねば厳しいほどの生活レベルです。もし、私がなんとかがんばって病を克服し、火鉢カフェを作る活動を再開し、人の拠り所となれる場所を作ることに少しでも期待をかけてくださる方がいらしたら、今、私のことを助けていただけませんでしょうか。

まだ、病も克服できているわけではありませんので、それを喧伝することはできませんが、もし、同じように病を抱えて不安な方などに、私の日々考えることを読んだり、聞いたりしていただいて、少しでも気持ちが楽になっていただければと思い、noteに文章を書いたりもしています。YouTubeもはやく始めたい。それが私の今の仕事だと思っています。それを続けて、病が克服できたときには恩返しができるよう、今は助けていただけませんでしょうか。

病の状態は、普通だったら仕事をしているような場合ではないほどです。自分でも、こんな体でよくパソコンを売っていると思います。ただ、大変とはいえ、実際に私は生かされて、パソコンを打てている。ご飯も食べられる。この「今私は生きている」ということだけを信じて日々やるべきことをやろうと思います。

どんな病であろうが、一般的に考えたら希望がなかろうが、治る可能性はまったくの0ではない。けれど、私が今生きているというのは100%の事実で、それがいい方に行くか悪い方に行くかは誰にも分からない。なら良い方に行くような努力をすべきで、それには、もうだめだと落ち込んでいる場合ではないのです。落ち込んだらその分、体も悪い方に傾くでしょう。

そのことは、最近、大谷翔平が教えてくれました。

球界の先輩の多くが無理だと言った二刀流。プロを舐めるなとまでいう人もいた。しかし、誰にも分からない未来を彼は決めつけず、ただ努力した。私も彼を見て、そうなりたいと思ったのです。今、もう死んだ方がいいんじゃないかという暗い考えが頭をもたげるとしたら、それはお金の心配だけです。緩和ケアの薬も精神の安定に役に立っていますから、それが購入できるお金も確保したい。そうすると、今の私はお金の心配さえなくなれば、大谷のように未来を信じられる気がするのです。

この大谷についての話はnoteのほうに書いていますのでよかったら読んでみてください。

2つのWBCが教えてくれた時代の変化①〜野球編https://note.com/renasakakibara51/n/n60f15b2db1f1

2つのWBCが教えてくれた時代の変化②〜白血球編https://note.com/renasakakibara51/n/nd1c88130822c


今後、こういう話はYouTubeでもやっていければと思います。noteにはほかにもいろんなことを書いているので、まだ読まれたことのない方は読んでみてください。上記のWBCの記事のページから他の記事にも飛べると思います。


そして、いまはみなさんに助けてもらいながら、自由に動けるようになったら、今度は人を助けることをやっていきたい。なので、今はどうか私のことを助けてください。

noteのサポートやクラウドファンディングは手数料が馬鹿にならないので、自分で寄付サイトを作りました。以下のサイトでご自由な金額で寄付が可能です。手数料は3%ほどです。


火鉢クラブ=中村有里の活動サポートhttps://checkout.square.site/merchant/ML9XEFQ92N6PZ/checkout/QJBOWTPES6Y42SAEUEYR6ZRC


また、Youtubeではこういうこと話してほしいとかありましたら、ご意見もいただけるとありがたいです。おひとりさまで経済的に頼る人もいない、病気になって、仕事にも出られない、どうやって稼いで生きていけばいいのか、もし、そういう状態になったときにも、この世は手を差し伸べて助けてくれるのだという希望をもてるような活動をやっていければと思います。そして、少しでも大変な人たちに希望が生まれればと思います。

だから、今は助けてください。


中村有里