2011年6月19日日曜日

洗濯機の寿命と娯楽としての手洗いのススメ

「火鉢クラブ」は、炭火に限らず、いろんな楽しい暮らしの提案をしていくつもり
ですが、まさに今日、自分の生活の中で、お、これ意外にイイかもって思う事があ
ったので、お伝えします。

「手洗い洗濯」です。

まずそもそもは、うちの洗濯機が壊れかけていることが事の発端。
もう20年近く使っている洗濯機なのですが、とうとうその寿命を迎えようとして
いるのか、今朝はどうしても動かなかったのです。いつもは、いろんなボタンを闇
雲に押していると動き出したりするのですが、今朝はピクリ、くらいで止まってし
まう。ただ、完全に動かなくなったわけではないようで、また気まぐれに動き出す
かもしれない気配でした。

この洗濯機、もう1年くらいずっと調子が悪いのです。
全自動なんかとっくのとうにできなくて、洗濯、すすぎ、脱水その都度止まっては、
スイッチを入れ直しに行っていました。最近では、年老いた人のように、陽気のい
い時には動くけれど、寒さで縮こまる日には、ボタンを押してもピクリともしない
いう日が続いていました。それでも、適当にいろんなボタンを無造作に押してい
たりすると、突然動き出して洗濯を全うする事ができました。
全自動洗濯機のくせに、2層式なんかよりもずーっと、洗濯機の側にいる時間が長
いという、不思議な1層式でした。

持ち主が買い替えを考え始めるとパソコンが自ら壊れてしまう事がよくあるといい
ますが、洗濯機も歳を取るほど人間のような動きをするのかなあとしみじみ
今日の調子はどうだろうか。ちょっと寒いけど今日は動いてくれるだろうか。気温
や湿度を気にしながら、ふつうなら買い替えるであろうめちゃめちゃ調子の悪い洗
濯機を使い続けてきたわけです。普段動かない分動いた時は嬉しいし、すごく年寄
なのに今日はがんばってるわと思ったりして、どうも買い替える気になれません
でしたこのところの経済状態では買い替えるのもままならないというのもあっ
のですが・・・。

にしても、新しい洗濯機も買わない、今の洗濯機も動かない。
ではどうするか。

コインランドリーに行ってみたら、なんと今日に限っていっぱいでした。
それではたと思いついたのが「手洗い」です。

「そーだ、手洗いしよう!」

時間がかかるとはいっても、コインランドリーを行き来する時間を考えたら、
かかる時間は実質は変わらないはず。それに、手洗いって、結構運動になるのでは
ないだろうか。そう思ったのでした。

考えてみれば、常々私は、家事を楽にして時間を作って、その時間でスポーツジム
に行ったりする事にやや違和感を感じていました。
いろんな家電製品のおかげで家事は随分楽になったけれど、そのせいで脳みそしか
動かさないという人が増えた。そして、それでは身体がなまると、現代人はせっせ
とスポーツジムの動く道路で走っているのです。
そんなこと言ってる私も、一時期スポーツジムに通ったことがあります。
しかし、走っても走っても変わらない都会の夜景を見下ろしながら、風も感じず、
動く歩道の上を走る自分にはなにか違和感がありました。かつては体育館や運動場で
土ぼこりや汗にまみれてやっていた運動を、ジャグジー付きのサロンみたいなところ
でやるってことに対し、セレブでもないのになにか勘違いをしてない?似合ってない
よという言葉が脳裏をよぎりました。しかしいちばんの違和感は、忙しい忙しいとい
いながら、家事という運動を家電というロボットにまかせてジムに通うという本末転
ではなかったかと思います(ただ、プールで泳ぐのはちょっと別物かなと思います)。
もちろん、身体が動かなくなってきたら、電化製品に頼らねばならないし、家事家電
が無くていいと言うわけではありません。それに、若い人にも「使うな」というわけ
じゃない。私だって使ってますし。
家電を使う事で得ているもの、また失っているものは何かということを、ちょっと意
識してみてもいいんじゃないだろうかと思ったのでした。

まあ、そんなこんなで、
この際、汗かきながら洗濯やってみるのもよかろうと思ったわけなのです。
実際には、ふと「やってみよう!」と思っただけで、その一瞬の脳の動きを、後から
説明すれば、以上のようになるというだけのことです。長々すいません。

というわけで、早速手洗いしてみようということにしたのですが、といっても、
うちには洗面器しかありません。
やはり、本格的に手洗いするとなるとたらいが必要です。そこで、早速その足で、
近所の荒物屋にたらいを買いに行きました。こういうときに、歩いて行ける範囲に
荒物屋なるクラシックなものがあるこの谷根千地域の環境に感謝です。

せっかくだから、気分を出そうと思って、トタンの金だらいを購入。
ドリフのコントで上から落ちてきていたアレです。
ただ、あまり大きいと置く場所もないので、やや小さめ。
それと、洗濯板も買いました。なんだかんだいってまだ売ってはいるのです。
子どもの靴下の泥汚れなどを落とすため、小さい洗濯板を買ってく人が時々いるんだとか。
私が嫁入りする時はこの金だらいと洗濯板を持ってきたもんよと言ってた店のおばちゃん
は、今年78歳だそうです(70そこそこにしか見えないのですが)。

ところで、この金だらい、直径48cmの大きさで2800円でした。
ちなみに洗濯板は1800円
高いと思うか安いと思うかは人によって違うんでしょうが、
同じくらいの大きさのよくあるブルーのポリのたらいが1200円。
洗濯に使うってことだけ考えると倍以上する金だらいは高い気もしますが、
このビジュアルだと、夏、氷水を貼ってスイカやキュウリを浮かべたりしてもイケル感じ。
今後の火鉢クラブの活動を考えたら、断然金だらいの方が用途が多く、お得であるに違い
ない(実際のイベントのときにはちゃんと新しいヤツ使いますよ!)。
というわけで、ポリではなくトタンの金だらいにしました。

ちなみに、この金だらいを作っている会社。
写真のたらいの真ん中に「DOIAEN」と書いてあるのですが、多分これ「土井亜鉛」で、
「土井金属化成株式会社」http://www.d-k-k.jp/index.htmlというところのもののようです。

とあるサイトの情報だと日本で唯一残る金だらいメーカーということですが、ググると
ほかにも金だらいを作っている会社はあるようです。しかし、写真を見ると、金だらい
でも素材が違っているようで、こういうドリフのコントに出てきたようなトタンの金だ
らいを作っている会社はここだけってことなのでしょうか?要リサーチですわ。


ということで、風呂場で洗濯開始。
石鹸はカネヨの純石鹸分98%の洗濯石けんで環境にもgood。1個120円

たまっていた靴下15足ほか、綿シャツ5枚、パーカーなど洗いましたです。
斜めに置いた洗濯板は思いのほか使い勝手がいい。
左手でつかんで右手でごしごしってやっていましたが、運動の意味も考えて、
左手でもごしごしやってみました。なんだか腕の運動になってる気がする〜。

実は、私は昔から腕力と握力が弱いのです。
学生時代スポーツは得意な方で、体力測定の数値もほとんどの項目で平均を上回
っていました。しかし、なぜかボール投げが苦手で、握力にいたっては平均25~
26くらいのところ、私は20いかなかったんじゃないかと記憶しています。
崖から落ちそうになっても枝にもつかまれない、サバイバル能力が低い身体なんだ
という認識がどっかでずーっとありました。

それが、洗いからすすぎを経て、靴下3本を一度にぐっと絞ったとき、握力が鍛え
れるのを実感!これは、一石二鳥。なんだか、二の腕にも力がかかっているし、
思ったよりいい運動です。これはまじに、手洗い続けたら、握力が強くなってくかも
と思いました。また、お湯を使ってるから、ホットヨガをやっるみたいで、結構汗
も出ます。お風呂に入ったとき一緒に洗ってしまえば、汗もいっしょに流せます。

運動になるだけじゃありません。
洗濯物をバシャバシャすすいで、水がだんだん濁って、水を変え、次第に澄んで行く。
桶に手を突っ込んで、どういう風に洗濯物を揺すれば、もっとも泡が早く落ちて行くか、
小刻みに手の平を動かしてみたり、洗濯物をつかみ洗いしてみたり。
いつもは洗濯機が勝手にやってる事を、自分の目で見て手を使って、より効率的にやろう
とするのは結構楽しい体験でした。

ただ、ちょっと大きなものは絞るのが大変。特にパイル地のパーカーみたいなものは
水をよく含むので、スゴく重くて脱水機が欲しくなります。

まあ、洗濯機が復帰したら、脱水だけは脱水機でやってもいいかもな。
 一張羅のシャツも手洗いしました。ドライマークがついてるのもあったけど、自己責任ざんすw
こういう綿シャツは手で絞るとシワシワになりますし、もしかしたら、
絞らずに水浸しで吊るしとくという手もあったかもしれません。

 手洗いマークをまさに手洗い!なんて思ったけど、最近の手洗いマークは洗濯機の手洗いコースを
想定してるんでしょうか?本当の手洗いは、結構摩擦もスゴいと思うからな・・・。


あんまり、手洗いだけにこだわる事も無く、ゆる〜く手洗いを楽しむ感じが
長続きの秘訣かなとも思います。まあ、私はしばらく洗濯機を買わないと思うので、
洗濯機の機嫌が直って動き出したら、脱水は洗濯機でやろうかなと思いますが、
大抵のお宅の洗濯機は元気でしょうから、この手洗い洗濯、気分転換として、
たまにやってみるってのはどうでしょう。「娯楽としての手洗い洗濯」でしょうか。
庭があるお宅やベランダが広いお宅なら、天気がいい日は、庭にたらいを出して
バシャバシャやるともっと気持ちいいと思います。

固形石鹸で洗うと泡切れもよく、水もそんなに使いませんし、節電にもなります。
いろんな意味で一石二鳥だとも思います。

せっかく私たち人類が開発した文明の利器。まったく否定する必要はないと思います。
実際、洗濯機というのは、お母さんの腰痛も減らしただろうし、腰の曲がったおじい
ちゃんおばあちゃんでも使えるし、かなり優れものだと思います。

その機械達に自分の仕事を肩代わりしてもらった代わりに、私たちは何を得ているのか、
その得たものは価値あるものなのか、はたまた何を失っているのかを意識しながら、
機械を使おうよってことだと洗濯しながら思いました。


たまの手洗い、水遊びでもあり、洗い上がるという達成感もあって、結構おすすめです。


2011年6月1日水曜日

私が「火鉢クラブ」をはじめた理由〜実家の長屋の思い出

テレビの仕事を辞めることを決めた去年の3月。かなりぶっちゃけた内容のブログ記事を書いていた。
そのひとつに、私の「住宅」に対する思いを書いたものがある。
入り口は、収入が無くなるのに伴って、自らの住宅ローンをモラトリアムしてもらう話であるが、
その住宅ローンを組んで建て替えた田舎の実家への思い入れと壊した古い家への思い出を
延々書いている。ボロいけど、季節とともにある住宅であった。
この思いが、私がこの「火鉢クラブ」を始めた根っこにある。

去年までやっていた報道番組のディレクターという仕事も、自分にとって大切な仕事であったが、
「報道」とは何かという認識が、結局は今のテレビとズレていて、続けるのが辛くなった。
私にとっての報道は「人の暮らし」である。
快適な家に住む、美味しく安全な食べ物を食べる・・・、それを阻むものが何であるのか。
一見私たちを守っているかに見える政治や法律が、
実は見えないところでそんな小さな幸せを阻んでいる。
それが見える形で、それも最悪の形で表れたのが今回の原発事故だ。
実は見えないところで、今回の悪夢は準備されていた。
生活実感からは乖離した報道が、そんな水面下の悪夢に気づかせなかったんだと思う。

ニュースが伝える大事件の数々。
なぜ原発が誘致され続けたのか、なぜ耐震偽装問題が起こったか、冤罪はくりかえされるのか、
それを発見する鍵は、自分の生活の中のちょっとした事象に実は垣間見えている。
それが見えないのは、ちょっとした違和感や疑問を見て見ぬ振りをしてやり過ごすことに
慣れっこになっているからだ。
それは、ちょうど、空調の整った住環境に慣れっこになって、
本来の季節のすばらしさを忘れ去ってしまっている私たち現代人のあり方に似ている。
季節感を取り戻し、季節の変わり目にふと気づく、そんな感性と身体性を取り戻すことが
人為的な悪夢の到来を予測する直感を育てることにもなるのではないかと信じている。

そして、私自身ずっと原発はやめるべきと思ってきたのも、
もちろん自分の実家の20キロ圏内に原発が存在することもあるが、
やはり、小さい頃、ボロい我が家で体験した、季節を感じる暮らしのせいだと思っている。

そこで、今回は、ちょっと長くなるが、この「火鉢クラブ」設立の元となった、
今はなき(建て替わりました)、実家の話を書いた、去年のブログをもうひとつのブログの方から
転載したいと思う。住環境の話だけではなく、地域のつながりや場所に関係した話もほんのちょっと
ではあるが入っている。そのへんも「火鉢クラブ」が考えていることの範囲である。
以前、読んだことのある方は飛ばしてチョ。

以下、「What is value?価値って・・・ナンシー関のいない世界で」よりの転載です。

2010年3月14日「住宅ローンモラトリアム。そして、日本の家と私の野望(笑)」

(最初の方すこし略します)*途中少してにおは直したり、書き直してます。元のブログはもとのママ

これまでのブログにも書いていますが、私は親が住んでいる実家の住宅ローンを抱えていて、
仕事を辞めるにあたって、それ以後返済をモラトリアムしてもらえないかと思っています。
私が借りているのは、地方銀行ですが、さて、どういう対応に出るのやら。
相談に行くのは4月に入ってからになりそうですが、
ちょっと電話で探りを入れてみようかなあ。

お前が分不相応に家なんか建てるからダメなんだろという方もいらっしゃるかもしれないので、
言い訳がましくも、一応断っておこうと思うのですが、
この住宅ローンはやむない事情で組んだのです。

親が暮らしている実家は、本当に古い家で、明治時代に建った商店街の長屋の一軒だったのですが、
周りの家がだんだん切り離して建て替えていく中で、支えを無くしたこともあってか、
一部土壁は崩れ、本当に地震でもあったらやばいぞってことになっており、
父母は日々不安のうちにその家で暮らしておりました。
お金がなくて、それまであまり修理できなかったのもあります。
雨漏りなどもあり、本当にどうにかせねばという状態が続く中、
とりあえずリフォームの相談をしてみたところ、これはもう建て替えないとダメだよと
知り合いの大工さんにも宣言されたようです。
両親もボロい家で暮らす事はやぶさかではなかったのですが、危険と隣り合わせとなり、
どうしようと悩んでいたようです。

しかし、シャッター商店街となりはてた地方の商店街で、
表具店なんていまどき田舎での需要はのぞめないクラシックな商売をやっている両親に
そんなお金はなく、困っていたところに、たまたま出入りの銀行が
「住宅ローン借りませんか」という話をもってきたのですね。
でも、返済能力のない両親に借りられるはずもなく、私のところにお鉢がまわってきました。

年取った両親に今から東京出てこいと言うのも酷だし、もし実家を畳んで、
東京で広い部屋に越したとしても、家賃が激上がりするか、遠くに離れるかどちらか。
それに、細々とはいえ、お店を開けておく事で社会とのつながりを保って生活している両親から
それを奪う事は、生きる張りを奪うようなものでしょう。
また、当時丁度、不景気のおかげなんでしょうか、
私のような、テレビ局で契約で働く保証のないものでも、
奇跡的に住宅ローンを組む事ができたのです(しかし、結局ローンを組んだのは最初に話しを
もちかけた銀行とは違う所になったのですが)。

で、今の実家が完成し、25年の住宅ローンを払い始めました。
払い始めてもう6年になります。
そんなわけで、不可抗力により組まざるを得なかった住宅ローンです。
どなた様も銀行様も、こんな景気の悪いおり、たった1年待ってくれという私の願いを
聞いてくれたってバチは当たんないでしょ、と思うのですがいかがざんしょ。

ところで、当初の住宅ローンモラトリアムとはちょっと話がずれますが、
ここで、この実家の話を少し聞いてもらえますでしょうか。

というのも、この、家に対する思いが、私が仕事を辞めて今後やろうとしていることにも、
間接的に関係があるからです。

ローンを組んで新しく建てた実家は、資金不足で、狭い上に、
建材などの部分で妥協の産物でもありますが、
暮らしやすい家になったと、自分では結構気に入っています。
店舗の裏側に居間があって、その奥に壷庭があります。いわゆる町家風のつくりです。
居間と廊下と台所と風呂場が庭を囲んでいて、どこにいても庭が見えます。
狭い庭にはいろんな植物が己生えに茂っていて、ちょっと野山を切り取って来た風情。
腰高の風呂の窓を開けると庭に面した露天風呂気分。空を見上げれば時には月も見えます。
昔の家からとっておいた沓脱ぎ石は縁側代わりの廊下の前に置かれていて、
廊下に座ってぼーっとできます。
居間のサッシの内側の障子は雪見のガラス障子です。
建材などは、カタログから選ぶセミオーダー形式で、
窓は普通にサッシ(アーケード商店街は消防法で防火ガラスのサッシにしないと違法なのです)、
町家風とはいっても、予算と面積の制約で、京都の町家とは似て非なるものではありますが・・。

今はこの家に満足していますが、昨今の家の標準的スタイルであるLDKな間取りと違う
こうした家を作る事は結構大変な作業でした。
最初に設計士さんから出されたプランは、店舗の奥のドアを開けると、すぐ廊下があって、
廊下の途中にトイレ、その先にキッチンと居間があり、
その先に裏通りに面した小さい庭があるというもので、
店舗にちょうど2LDKの家をくっつけた感じでした。
しかし、町家の作りでは、多分、店舗のすぐ裏は、ちょっとした部屋(玄関間)があるはずです。
店番してる時ちょっと中に引っ込んでも、
「ごめん下さい」という声が聞こえる位置に部屋がなくてはいけない。
田舎の表具店なんて、いつも店に誰かいる訳じゃないですから。お昼ご飯食べるときは引っ込む。
そういう時のために店のすぐ裏に部屋が必要なんです。
いつでも店番置いてちゃんと商売している今時のお店はそんなことないのかもしれません。
そういうちゃんとしたお店なら、近くにあるのはトイレだけでいいのでしょう。
しかし、年寄り2人の、人もそれほど訪れない店には、こうした仕様が使い勝手がいい。

ながながくどくど説明しましたが、これを設計士さんに分かってもらうのは実は比較的容易でした。
それよりも難しかったのは、昔の家のいい部分を残したいという漠然とした希望を伝える事です。
私の主観的な家への思い入れや思い出などが入り混じって、
それをどう説明してどう具体的設計にしてもらえばいいものかが分かりませんでした。

実のところ、壊してしまった昔の家、それをそのまま再現したかったのが本音です。
昔の家は、先にも述べましたが、いわゆる町家の作りで、土間があって、
家の真ん中に小さい壷庭がありました。
庭に面した部屋は表面に歪みのある、昔の流れるようなガラスの入ったガラス戸で囲まれていました。階段は箱階段、風呂は五右衛門風呂、
台所は(釜屋と呼んでいましたが)一旦靴を履いて下に降りる土間でした。
そういえば和式便器も白ではなく、伊万里風の青い画が描かれたものでした。
また、これが子ども心に一番グッと来てたのですが、物干に繋がる木の雨戸には、
小さな木の節穴があって、晴れた日に雨戸と内側の障子を一緒に閉めると、節穴から光が入り、
ピンホールカメラになって、障子のスクリーンに外の景色が逆さに映るのでした。
また、物干から屋根に登って何度も夕焼けも眺めました。
瓦と瓦の隙間には雑草が顔をのぞかせています。
そこから眺める西の空を鳶が行く様は、私にとっての枕草子の雁の様です。思い出すと涙・・。

住んでいた当時は、もう古いボロ屋で、人を呼ぶのも恥ずかしく、
自慢など決してできなかった家ではありますが、
ほかにも、挙げだしたらきりがないほどいろんな思い出が詰まっていました。

物理的にそのまま再現するのは資金的に全然無理です。
面積からして土間も諦めなくてはならないでしょう。
では、そんな気分だけでも再現できる家はどうやれば作れるのか?
夏休みを家の打ち合わせにあて、実家に帰り考えました。

方眼紙に自分で素人なりの設計図を書いて試行錯誤です。
長屋を切り離すので、間口が片側50cm計1mも狭くなり、建坪も以前よりずっと狭くなります。
そのため、当初は、昔の家と同じ間取りで、真ん中に壷庭をとる発想は私にもありませんでした。
裏庭でもいいやと思っていたのです。
しかし、実際に設計士さんから提示された間取りから見えてくる生活は、
どうしてもしっくり来ませんでした。
店舗のすぐ裏に部屋がひとつあって、ダイニングキッチンがあって
再奥に庭があるのが何故ダメなのか?

帰郷から何日目だったか、家の向かいの道を登っていったところにある
かつては金比羅様の祀られる本殿のあった場所から商店街を見下ろしていたときのことでした。
「やはり部屋は狭くなってしまうけど、家の真ん中に壷庭つくるしかないなあ」とふと思ったのです。

うちの家が、貧しいながらも、最終的に殺伐としなかったのは、家のど真ん中に庭があったからだ、
その時そう思いました。
そして、それを裏付けるシーンが頭の中に浮かんできました。
大学で東京に行くまでの私は、
よく、庭で地面に向かって蟻の行列にすいかの欠片を落としてやったりしていました。
反対に空も見上げていました。
特に思い出に残っているのが、夜トイレに行く時に内庭に面した廊下から見上げた月や星座です。
闇の怖さも覚えています。時には野良猫が侵入しどきりとする事もありました。
トイレ(ご不浄)は外に面してないとだめなのです(って決めつけ過ぎw)。
水回りはすべて庭に面してる、つまり半分外にあるのが、生活の基本だったことを再認識しました。
そういえば、母は洗濯機も外に置く派です。

当時は部屋にいるときも台所でも風呂でもトイレでも、一日中何をしている時でも、
外とつながって日常を過ごしていました。アーケード商店街という町中に住んでいても、
この小さい庭が家の内部にあり、向かいの鎮守には大きな楠木が茂り、秋には葉っぱでたき火をして、
木にまたがった。そういう風に四季を感じる事が、お金がないということを私の中で
決定的な問題にしなかったのではないかと思えてなりません。

家の中の全ての場所から見える庭。今の建築の主流がどうであろうと、部屋が狭くなろうと、
そういう自分の家族の暮らし方の基本だけは崩してはいけないだろうと、その時気付きました。
夕焼け空の下、今は廃墟になってしまった鎮守の崩れ落ちた狛犬の横で
アーケード街を見下ろしながら、やっぱり家の真ん中に壷庭をつくることに決めました。
そして、その後、それを基準にしてすべてを決めました。居間などの住居部分は狭くなってしまい、
ちゃんとした客間も無いような家ですが、商店ですから、人がくれば店で話をしてますし、
両親はこの家に満足しているようです。

長くなりついでにもうちょっと話すと、この家は、もともと真ん中の壷庭をはさんでお店のある
表が2階建て、母屋のある裏が3階建てでした。木造の3階建てです。
しかし、家業が傾いて来たために、私が生まれる前に裏の3階は他人の手に渡ってしまい、
広かっただろう庭には仕切りの塀が作られていました。
今回老朽化を理由に、この他人の手に渡った3階も取り壊し駐車場になりました。
父が小さい頃には、まだこの木造3階はうちのもので、曾祖母らが3階の座敷で映っている写真も
あるのですが、この3階というのが、サンルームのようにガラス戸が入っていて、
私は一度そこに行きたくてしょうがありませんでした。
曾祖父の時代は、茶懐石などもそこでやってたなどという話を聞かされた日にはなおさらでした。
でも、そこを買い取った人の家とは仲があまり良くなくて、私は一度もその3階には行けぬまま、
家の最後を看取ったのです。
しかも、家を壊す時、持ち主からいろいろ難癖を付けられ、
結局裏の3階の解体費用と駐車場にする費用は私が出しました。本当に私が最後を看取りました。
そんなこともあったからでしょうか、私の密かな野望の中には、ゆくゆくは裏の土地を買い戻して
3階木造を建ててみたいというものもあったりします。

原体験としてこんな住宅体験をしているために、
私はどうしても昨今のフローリングのマンションは
買う気になれず、東京で築40年の賃貸ボロマンションに住んでいます
(地震が来たらかなりヤバいです)。←今本当にヤバいことになってます!どうなる私!
そのかわり都心なのに周りの環境は最高です。春は近くで桜が舞います。

さらには、「木造4階建てマンションを建てて母子家庭向けの格安NPO不動産をやって、
そこの最上階に住むんだあ」とか、「やっぱり日本の家には借景が必要なのよ」とか、
贅沢かつ妄想めいたことを日々口にして、たぶん、多くの人にあきれられています。
でも、できる事ならばいつか、日本の風土に合った本当に心地よい家というものを作ってみたいです。
自分のためでなくてもいいし、高価なものである必要もありません。

妄想ついでに、最後にだめ押しすると、
今回住宅ローンモラトリアムを申し込んでまで、私が今の仕事を辞めて新しい道に進むのは、
以上のような野望を達成するための一歩という意味も無くはないのです。

(最後ちょっと略)

転載ここまで>>>

1年前にこんなことを書いていました。
その後1年間、会社に行く代わりに、地元の町で暮らし、地方に行き、いろんなことを考えました。
冬からは、実験的に「火鉢カフェ」を開催し、まだ少しですが、理解して下さる方も増えてきました。
このへんで、本格的な活動を開始しようと思っています。
このところ、あらためて「炭」のスゴさも実感していますし。

具体的な活動の告知をしていきますので今後ともよろしくお願い致します。