2023年4月29日土曜日

21世紀の徒然草① 徒然なるままに〜あやしうこそものぐるほしけれ

本当は早くYouTubeはじめたいのだが、なんか始められないので、今日は今の徒然なる気分を思いつくままに書いてみる。


今は誰もがYouTubeを始める時代。特別なことではなくなっている。特に最近、私の目につくのは、Youtubeで自らの窮状を伝えたり、もしくは逆境から立ち上がった成功体験を語ったり、人生のセーフティネットのような形でYouTubeを使っている例である。よく見かけるのは、わずかな年金だけで暮らす、自らのつましい年金生活を、「貯金残高公開します」などのキャッチーなタイトルとともにアップしているものだ。似た境遇の人が多いのか、万単位の視聴数をかせいでいるものも多い。けれど、テロップの字体や入れ方、ナレーションなしでテロップの説明だけで進行する形式など、作りの似たものが多く、これも人気ジャンルとして、誰かが組織的に同様の動画を大量生産しているのだろう。今や、YouTube専門の制作プロダクションも存在する時代。儲かるネタだと思えばすぐに食いつく。資金のあるものが個人を凌駕。本当に世の中は逞しいと感心する。ぼやぼやしてたら、時代はすぐに移りゆき、無名の個人のアップした動画が注目される可能性はどんどん低くなっている。

それで私も怯んでしまって、なかなかYouTubeを始められないでいるのだが、YouTubeが誰でも自由に動画を公開でき、登録者数さえ満たせば、お金を稼ぐことができるメディアであるのも事実。厳しくはあるが、人からもらう仕事と違って、誰でも始めることだけはできる。

外に出て働くことも厳しく、頼る人もなく、年金も少額で、貯金もないというような人間が生き延びるためにやれることを考えた時、YouTubeは一つのセーフティネットとして、ある意味、行政などよりやくにたってくれるかもしれない。メルカリなどの商品を転売して利ざやを稼ぐせどり的な商売なども含め、スマホやPCを使った在宅で自由にできる仕事が生まれたことで、私たちの世代は一つセーフティネットを得たといえるだろう。

そんな文明の利器を利用しない手はないのである。なのに、私はなかなか始める自信がないままに、こうして、徒然なるままになんて独りごちている。なさけなや。

それに、このところの私は何を語りたいのかという最も重要なことが、自分でもわからなくなっている。こんな身体で、人と違う養生法を選び、人の世話になりながら、迷惑をかけながら生きている。私がいなくなって、困る人がいるだろうか。本当に弱ってしまうのは母だけだろう。母のためには生きていたいが、何のために生きると思うこと自体が現世への執着で、生への執着はかえって命を縮めるのではないかなんてことも頭に浮かんでしまう。
全ては無為自然。そうなれた時に人は悟りを得て生まれ変われるかもしれないとよく知りもしない老子の思想のようなことを思う。
そんな私が、とはいえやっぱり、なんとか回復したいと願いながら、生き延びているこの日々の中から何を切り取って伝えればいいのだろう。読者は何が知りたいのだろう。

私には今の病気が進行して、医者の考えている程度の年限で死ぬつもりは全くない。死を覚悟して、死に支度をする勇気も覚悟もない。死ぬかどうかわからないのだから覚悟なんてする必要ないと思っている。だから、こんなネガティブなことを書きつつも、どこか呑気だ。リモートで話す友人とはまるで平気そうに話している。だから、いわゆる闘病記的なものを書く心境には全くならない。でも世の中に溢れるがん患者の手記はそういうものがほとんどだ。私のようなことを言う人間はオカルトめいてると思われるのだろうか、あんまり求められていないようだ。

とはいえ、毎日、鎮痛剤を飲み、突っ張って動きづらい身体で、よちよち歩いてトイレに行き、キッチンに立って、休み休み調理する。そんな姿は見方によっては悲痛だ。しかし、見方によっては100歳の腰の深く曲がったばあちゃんが、腰が曲がりすぎて、フライパンの中身も見ずに、床を見つめながら曲芸のように炒め物をしている、ちょっと滑稽な風景に見えなくもない。でも、がんの闘病に“滑稽”は求められない。

そして、滑稽だとか自分で言っているくせに、私はこの姿をあまり人には見せたくない。こんな姿を見たら、私ももう長くはないと思われてしまうのではないかとビクビクしているのだ。周囲にそう思われたら、本当にそうなってしまいそうな気がする。嘘でもいいから、全ての人に私は大丈夫と心の中で唱えてほしい。

そんな矛盾だらけ、訳の分からない私の心の中を誰が知りたいのだろう。誰の役に立つと言うのだろう。

歩いての外出は無理。寝る時も座り姿勢でしか寝られない。それでも生活するためには何か仕事をせねばならず、とはいえ、こんな人間にやれる仕事は限られる。というか、何がやれるのか自分でも書くことやしゃべること以外に想像がつかないのが正直なところ。だけど、何を書けばいいのかと思うから立ち止まってしまう。

今の本音を言えば、存在していることが仕事ですと言って、生きているだけでお金をもらえたらいいのにと本気で思っている。

「ゴ〜ロゴロ、ゴ〜ロゴロ、この10円玉が1万円にならないかなあ」というずんの飯尾のギャグが、ギャグではなくなってほしいと思ってるのが今の私。

友人に手伝ってもらって部屋の整理をしていると、小銭が次々に現れて、古い財布やナッツの大きな空き缶に小銭がいっぱいになっている。50円と100円玉は一つもない。10円、5円、1円のみの小銭の壺に手を突っ込んで一握り。我が暮らしなお楽にならざりと、一握の銭を握って、ずんの飯尾になってみる。

いつまでこんな生活が続くのか。

なんだかネガティブ丸出しで、これまでいろんなところで語ってきたポジティブな語りは嘘だったのと突っ込まれそうだが、私の実態はそのくらい弱気だ。もう経済的に尻に火がついてヤバいにも関わらず、いつまでもうずくまって、わずかにやらせてもらえるテレビの仕事にしがみついて、なんとかならないかと思っている。が、実際にはなかなか厳しい。

YouTubeなんてお金にするの大変なんでしょ?と人は言う。

でもさ、YouTubeで生活できるほど稼ぐのが奇蹟なら、今私が目指している病の治癒も奇蹟。どうせ、もともと奇蹟を目指しているなら、仕事の面で奇蹟を目指すのもアリかもな。
でも、こんなこと言ってたら、またダメ人間扱いされるんだろうなあ。

学者の肩書きのある人が「はたらかないでたらふく食べたい」とか言えば、新しい時代の思想ともてはやされるのに、ただの人が似たようなこと言っても怠け者と言われるだけだったりする。学者になれば何言っても大丈夫ってことをわかってる学者はやっぱり頭いいのである。私みたいに、肩書きなんて関係ないと思って生きていけるほどおめでたくはないわけだ。まあ、自分はそういうダメ人間であるということを受け入れて生きていけばいくしかない。

今日のテキストは本当に徒然草的自虐満載。
徒然草の冒頭を口ずさみたくなってくる。

「徒然なるままにひぐらし 硯に向かいて心に移り行くよしなしごとを 
 そこはかとなく書きつくれば あやしうこそものぐるほしけれ」

本当に今回の気分にぴったりだ。
今後のエッセイは 21世紀の徒然草とするべきか。
私の亡くなった父には20世紀の徒然草を書いて欲しかった。そんなことを思う時、私はやっぱり父の娘だと思う。人生、あやしうこそものぐるほしけれ。

でも、こんなこと書いてる時間があるんだったら、YouTube早く始めろよな。
そう自分にツッコミ入れて、今日のネガティブな徒然テキストを締めくくりまっす。

21世紀の徒然草というのは結構いいかもしれない。
マガジンを作っとこう。
というわけで、今後も21世紀の徒然草をよろしくお願いします🥺

そして、永遠に徒然と書き続けられるよう、ご支援お願いします。
以下が火鉢クラブ支援窓口になっています。

火鉢クラブ活動(=中村有里の活動)支援窓口
https://checkout.square.site/merchant/ML9XEFQ92N6PZ/checkout/QJBOWTPES6Y42SAEUEYR6ZRC

2023年4月26日水曜日

Help! このピンチ助けてください!〜サポートのお願い

しばらく、こちらのブログへの更新が滞っておりました。

このところはnoteに自分の現状などを書き綴っておりました。けれど、そもそも火鉢クラブこそが私の本拠地。将来、火鉢カフェを作る夢は変わっておりません。それが私の使命と思い、今、病をなんとか克服しようと頑張っております。

というわけで、こちらの更新も再開しようと思います。そんな再開最初の投稿が「助けてください!」というのは、どうにも情けないですが、また経済的なピンチがやってきてしまいました。それには、現状、助けてくださいと世の中にお願いするしかないと思いました。

ビートルズの「Help!」の歌詞が今の私にはよくわかる。

今、こうしてなんとかパソコンを叩いてはいられますが、体の状態の波はあり、ここしばらく、とても体が動かしづらく、書くだけの仕事をするのも大変な状況にありました。胸の皮下にできた鎧のようなものは体幹を覆うように、皮膚と筋肉を癒着させ、首を引っ張り、体を硬直させ、パソコンを打つだけでも、体に響きます。座っているだけでも大変な状態です。

ただ、これまで鉄やタンパク質などの欠乏で多かった抜け毛がぐっと減ってきたり、よいことも起こっていますので、命を諦めず、自分の使命に向かって進んでいきたい。

人間生きていくにはお金がかかります。医療費もかかります。体を動かしづらく、仕事があまりできなかったせいで、現在、経済的にピンチが訪れようとしております。

自分の責任ではあると思いますが、運も悪かったとも思います。現在、頼る親族もおらず、母も私が扶養せねば厳しいほどの生活レベルです。もし、私がなんとかがんばって病を克服し、火鉢カフェを作る活動を再開し、人の拠り所となれる場所を作ることに少しでも期待をかけてくださる方がいらしたら、今、私のことを助けていただけませんでしょうか。

まだ、病も克服できているわけではありませんので、それを喧伝することはできませんが、もし、同じように病を抱えて不安な方などに、私の日々考えることを読んだり、聞いたりしていただいて、少しでも気持ちが楽になっていただければと思い、noteに文章を書いたりもしています。YouTubeもはやく始めたい。それが私の今の仕事だと思っています。それを続けて、病が克服できたときには恩返しができるよう、今は助けていただけませんでしょうか。

病の状態は、普通だったら仕事をしているような場合ではないほどです。自分でも、こんな体でよくパソコンを売っていると思います。ただ、大変とはいえ、実際に私は生かされて、パソコンを打てている。ご飯も食べられる。この「今私は生きている」ということだけを信じて日々やるべきことをやろうと思います。

どんな病であろうが、一般的に考えたら希望がなかろうが、治る可能性はまったくの0ではない。けれど、私が今生きているというのは100%の事実で、それがいい方に行くか悪い方に行くかは誰にも分からない。なら良い方に行くような努力をすべきで、それには、もうだめだと落ち込んでいる場合ではないのです。落ち込んだらその分、体も悪い方に傾くでしょう。

そのことは、最近、大谷翔平が教えてくれました。

球界の先輩の多くが無理だと言った二刀流。プロを舐めるなとまでいう人もいた。しかし、誰にも分からない未来を彼は決めつけず、ただ努力した。私も彼を見て、そうなりたいと思ったのです。今、もう死んだ方がいいんじゃないかという暗い考えが頭をもたげるとしたら、それはお金の心配だけです。緩和ケアの薬も精神の安定に役に立っていますから、それが購入できるお金も確保したい。そうすると、今の私はお金の心配さえなくなれば、大谷のように未来を信じられる気がするのです。

この大谷についての話はnoteのほうに書いていますのでよかったら読んでみてください。

2つのWBCが教えてくれた時代の変化①〜野球編https://note.com/renasakakibara51/n/n60f15b2db1f1

2つのWBCが教えてくれた時代の変化②〜白血球編https://note.com/renasakakibara51/n/nd1c88130822c


今後、こういう話はYouTubeでもやっていければと思います。noteにはほかにもいろんなことを書いているので、まだ読まれたことのない方は読んでみてください。上記のWBCの記事のページから他の記事にも飛べると思います。


そして、いまはみなさんに助けてもらいながら、自由に動けるようになったら、今度は人を助けることをやっていきたい。なので、今はどうか私のことを助けてください。

noteのサポートやクラウドファンディングは手数料が馬鹿にならないので、自分で寄付サイトを作りました。以下のサイトでご自由な金額で寄付が可能です。手数料は3%ほどです。


火鉢クラブ=中村有里の活動サポートhttps://checkout.square.site/merchant/ML9XEFQ92N6PZ/checkout/QJBOWTPES6Y42SAEUEYR6ZRC


また、Youtubeではこういうこと話してほしいとかありましたら、ご意見もいただけるとありがたいです。おひとりさまで経済的に頼る人もいない、病気になって、仕事にも出られない、どうやって稼いで生きていけばいいのか、もし、そういう状態になったときにも、この世は手を差し伸べて助けてくれるのだという希望をもてるような活動をやっていければと思います。そして、少しでも大変な人たちに希望が生まれればと思います。

だから、今は助けてください。


中村有里



2022年9月11日日曜日

生まれ故郷の町おこし①〜「思い出の風景」からはじめる町おこし

故郷の町おこし案について本格的に書き始めようと思っている。

以前、「生まれ故郷の町おこし」として書いた文章に重なる部分もあるが、ここを1として、一般論としての「地域振興」についても考えていきたい。
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18歳で故郷の愛媛県八幡浜市を離れ、東京で暮らすようになってはや37年。八幡浜で過ごした倍の時間を東京で過ごしたことになる。そんな私がいまさら故郷の町おこしをやりたいといって、ここ40年近く故郷を離れていた人間に何ができると言われてしまうかもしれない。しかし、やはり私は故郷の町おこしに挑戦してみたいと思っている。
 
よく言われることだが、遠く離れていたからこそ見えてくる地元の良さというものもあると思う。それに、同じ離れているにしても、私には都会のコンサルの人々には持ちようもない、この土地での「思い出」がある。
今になって思うことだが、その「思い出」はずっと私のベースにあって、今も東京で考えること、やろうとすることの根底には、常に子どもの頃に感じていた好奇心や感動や笑いや心地よさのエッセンスが沁み込んでいる。火鉢カフェという発想や私がやりたいと思う寺子屋の形などはまさにその頃の思い出が元にある。
何十年もの間、都会の暮らしに揉まれても、いまだ消えずに香る生き方のエッセンスのようなもの。そこには故郷の良さが凝縮されているはず。
それを取り戻すことこそ、現在の故郷にとって必要なことなのではないのか・・・。そうした自分の中での仮説を立証したくて、今更ながら故郷の町おこしに挑戦してみたいと思うのだ。
 
故郷を離れてから40年。
バブルを過ぎ、失われた数十年が続き、金融経済の台頭とグローバル化の中で、「お金」が世の中の価値観の中心となるにつれ、私が子どもの頃に体験した故郷の「思い出の場所」や「思い出の風景」は、廃墟となったり、休館となったり、存在自体がなくなったり、市民の日常の中で見向きもされず、活気のない存在となり果てている。
 
時代は変わるといえばそのとおりだし、そういうのをセンチメンタルなノスタルジーだと切り捨てる人もいるかもしれない。しかし、子どもだった1970年代に私が足繁く通い、一枚の写真の如く記憶に焼き付けられている場所のことをあらためて思い出してみると、それは今現在存在している新しい施設や場所よりも居心地が良く、まさにキツイ時代の今こそ、新たな心地よい居場所として復活してほしいと思えるものばかりなのだ。
 
例えば、私が子どもの頃に通っていた八幡浜市の旧図書館と旧児童館。これが素晴らしかった。
旧図書館は2階の踊り場に作り付けのベンチがあって、その脇にある大きなガラス窓からは柔らかい光が木造の床に降り注いでいた。狭いながらもテラス席があったり、ガラスと木をうまく融合させた建物は文化的な空気を醸し、子ども心にいい建物だと感じていた。児童館は山の上の中学校に行く中腹にあり、サンルームのようにガラス窓に囲まれた広い遊戯室からは市内と港が一望できたはずだ。確かこの遊戯室は畳敷で、周囲を低い本棚が取り囲み、私はそこに置いてあった週刊マーガレットや少女フレンドを読むために足繁く通っていたのだが、見晴らしと日当たりの良い畳敷の部屋に寝転んで漫画を読むのは至福の時間であった。当時は見晴らしの良さなど気にしていなかったかもしれないが、それは心地よい記憶の中に無意識に刻まれた。
 

旧児童館 2020年撮影

私はなんて素敵な公共施設で子どもの時を過ごさせてもらったんだろう。
文化的な空気が漂い、地元の風景を感じられる場所ということが、そこに住む者にとっていかに必要で、それが地元への誇りや愛情を生むことを、私はこうした子どもの頃の体験から理解したのだと思う。この思いは、さっきも書いたように、心地よさのエッセンスとして心の奥深くに刻まれ、東京にやってきてどんな素敵な場所や施設に出会っても変わらなかった。
 

しかし、それもそのはずなのである。
私のお気に入りだったこの旧図書館と旧児童館は、同じ市内にあり、木造モダニズム建築の傑作として、木造建築としては戦後初めて国の重要文化財に指定された「日土小学校」を設計した建築家・松村正恒による建物だったのだ(児童館については詳細不明)。松村はこれらの建物を建てた時、八幡浜市の職員。その建築は高く評価され、1960年、文藝春秋誌上で発表された「建築家十傑」に選ばれており、市内には学校の校舎を中心に多くの松村設計の公共施設が造られた。私は知らず知らずのうちにそうした建築物に囲まれて子ども時代を過ごしていたのだ。

しかし、それらの建物が松村正恒という人の設計であることを知る市民は少なく、日土小学校の建築的な価値も認められ始めたのは21世紀になってから。国の重要文化財となったのは2012年のことである。

ただ、この重要文化財認定で、市内にある松村が作った建物の価値も少しは見直されるようになったようで、だからこそ、多分、老朽化した旧図書館も旧児童館も解体されずに残されているのだと思う。旧図書館は松村正恒記念館として再生させるという話も聞いた。しかし、市の財政難のせいなのか、いつまで経っても旧図書館の扉は暗く締め切られたままだ。
 
私が故郷で暮らした子ども時代(70年代~バブル前まで)、家にお金はなかったが、日々の暮らしの中に「お金とは無縁な豊かさ」はあった。その多くは文化的なものであり、ちょっとした自然とのふれあいであった。その一つの例が、上記した旧図書館と旧児童館での思い出で、私の記憶の中にはそうした「豊かさ」が「思い出の風景」として深く刻まれている。
 
しかし、私たちはバブルとグローバル化の時代を経て、それらの多くを失った。そして、それを失ってしまったがために、私たちは21世紀の今、生きづらさと将来への不安を抱え、自分の故郷の日常の中に点在する豊かさを感じることができず、地域の活性化のために動く気力も生まれず、地方はどんどん疲弊してしまったのではないだろうか。
 
だからこそ、私はこれからの時代の地域活性化には、この「思い出」や「心に残る風景」こそが重要になってくると思っている。そんな風景の中にこそ、現代の疲弊した地方を蘇らせる鍵があるような気がしている。
 
風景や思い出だけで、どうやって地域経済を活性化させるというのだと突っ込まれるかもしれない。だから、これから何回かにかけて、それを説明していきたい。


 

「地方創生」「地域振興」とは何か? 中途半端な町の活性化とは?


「地域振興」や「地方活性化」というと、多くの人が思い浮かべるのは「観光資源」の発掘であろう。国の「観光立国」政策とも相まって、「地方」といえば自然豊かな絶景と美味しい特産品で外から人を呼ぶことが活性化の肝のように思われる。
 
しかしそうだろうか?
 
例えば、私の故郷、愛媛県八幡浜市は漁業とみかんの町で、田舎は田舎なのだが、有名な景勝地があるわけでもなく、海のリゾートを体験できるわけでもなく、漁業も漁獲量は激減し、みかんも生産者は減り、街の中心部の商店街はシャッター商店街になり果て、街歩きをしても、どこを見ればいいのかわからない。結局、観光に来ても、あらたに街の名物とした「ちゃんぽん」を食べて、道の駅に寄るくらいしかない、決定的な「観光的な武器」を持たない町である。
 
日本中には、こうした「自然豊かなど田舎」でもなく、かといって商業施設や文化施設も豊富な「美しき地方都市」というわけでもない「中途半端な自治体」が山のようにある。しかし、これまで提示されてきた「地方創生」「地域振興」のアイディアは、観光や特産品でいかに稼ぐかが重視され、そういう中途半端な自治体の特性を無視したものではなかったかと思う。
 
そこで、私は、まさにそうした「中途半端な町」である自分の故郷を題材に、そうした中途半端な町をこそ活性化させる新しい時代の「町おこし案」を提示したいと思う。

そんな中途半端な町にも「松村正恒の建築」のような隠れた宝があるのである。しかし、80年代以降の「金儲け一辺倒の価値観」の世の中で、その良さが理解されず取り残されてきた。今こそ、それを反省して、自分の故郷の街の素晴らしさを見直すことが、新しい時代の町おこしへの第一歩になるのではないだろうか。
 
現在、八幡浜在住の方も頭の中に思い浮かべてみてください。
子どもの頃に楽しいと感じた場所はどこだったか、何を楽しいと思ったか。
まずは「思い出の風景」を思い出すことから始めよう。
 
まずは「思い出の風景」から始めて、それをどう経済の活性化に繋げていくか。それをこれから書いていきたいと思う。考えながらの執筆なので、まとまらないことも、言葉足らずなことも多いと思う。今回の文章だって、なぜ「思い出の風景」が重要なのかがいまひとつ伝わってない気がする。
これから自分の故郷を素材に具体例を上げながら書いていく中で、その意図が徐々に伝わればと思う。気長にお付き合いください!


※以下のサイトから火鉢クラブの寄付サイトに飛べます。

 サポートよろしくお願いいたします。


火鉢クラブ活動サポート寄付窓口(squareによるカード決済)

https://checkout.square.site/merchant/ML9XEFQ92N6PZ/checkout/QJBOWTPES6Y42SAEUEYR6ZRC


「火鉢クラブshop」内寄付窓口(銀行振込希望の方)

http://hibachiclubshop.com/?pid=169880166




2022年8月17日水曜日

火鉢クラブ活動サポート寄付窓口つくりました

 このところ体が動きづらく、ディレクターの仕事や請け負う仕事で収入を得ることが難しくなってきています。そこで、本格的にnoteでの執筆へのサポートやブログのアフィリエイト、その他、書くことや発信することによって得られる収入で生活と治療ができるよう、早急なシフトが必要です。そこで、このブログにもサポート寄付窓口を作りました。

ホームページのメインバナーの下にいくつか並んでいる項目の中に「火鉢クラブ活動サポート寄付窓口」という項目がありますが、そこをクリックしていただくと、任意の寄付額で寄付できるサイトに飛びます。Squreという決済システムを使っており、カード決済となっております。

【カード決済寄付窓口】

https://draft.blogger.com/blog/page/edit/1677077986553315086/6637249092537984094?hl=ja


【銀行振込ご希望の方】

銀行振り込みなどほかの決済方法をご希望の方は、以下の火鉢クラブの販売サイトにある「火鉢クラブサポート」を選択し、一口1000円×任意の口数にて必要事項をご記入の上、指定の口座に、お振り込みいただけますと幸いです。火鉢クラブのイベントなど再開できました折には、いただきましたメール連絡先にイベント情報など送らせていただきます。

「火鉢クラブshop」内寄付窓口

http://hibachiclubshop.com/?pid=169880166


また、振り込み人ご本人の個人情報を知らせることなく、匿名でのご支援をご希望の場合は以下の口座に、振り込み人名を「(ニックネーム)のサポート」としてお振り込みください。

三井住友銀行 赤坂支店

普通口座 8048480

ナカムラ ユリ

可能でしたら、メールでサポートしてくださった旨、以下のアドレスまでご一報いただけますと幸いです。

dejima2010@gmail.com

2022年6月5日日曜日

noteの記事、鋭意更新中!

読者を着実に増やせるよう、noteの方に、連日記事を更新しております。

何卒よろしくお願いします。

今日はこれ。

「介護の当事者になって その2〜特別扱いされないのが辛いのではなくて」


2022年6月4日土曜日

新聞連載は終わったけど、書き続けます!

朝日新聞beの「それぞれの最終楽章 おひとりさまとして」の連載も先週の土曜で終わり、今日はちょっと寂しい土曜の朝でした。

でも、書くことは終わりません。

新聞連載の中でも書きましたが、外に出る仕事がやりづらくなってきているのもあり、書くことを収入に繋げていきたいと思っています。これまでテレビの仕事が中心で、ライターの仕事は申し訳程度にしかやっていなかったので、現在もライター仕事は特にオファーもなく、かつ、取材に出るのもそう簡単ではないので(テレビのインタビューなどはズームを駆使したり、スタッフの助けによってまだなんとかやってますが、それもいつまで続くか??まあ、はやく身体を元のように動ける状態にしたいところですが)、難しいとは思いますが、なんとか、自分から発信することで収入に繋げられないかと思っています。

それに、今の状態では、やはり病を治すことに費やす時間も多く、取材をして書くこと、資料を集めて調べて書くことなどはなかなか負担が大きく、自分から出てくるエッセイのようなものや、日々の生活の中で知ったこと、抱いた疑問などを書き綴ることしかできそうにもありません。もちろん、それも、本当に自分の気持ちに嘘をつかず、自分の奥底を見つめて書くとなると、結構、体力がいることではあるのですが、それを今やることは、私の心と身体にとって悪いこととは思えないのです。

新聞連載の「それぞれの最終楽章」のような枠組みやテーマがなくなると、私ごときの書いたものを人が読みにきてくれるかは分かりません。新聞連載は「がんをおひとりさまがサバイブする」というテーマがあったから読んでいただけたのだと思いますが、私もこのがんを克服するつもりでいますから、いつまでもがんのことを書きたいわけでなく、いつかはこのテーマを手放さねばなりません。

それでも、人は私の書いたものを読みにきてくれるのか・・・。

自分のことはぺらぺらしゃべる(書く)私ですが、物事を分析したり、批評する文章は書くのに時間もかかり、プロの作家さんのように、するすると言葉が出てきません。それでも、自分の中にぼんやりとある思いや構想を、正確な言葉で表現して伝えたいとは思っています。

がんばってみようと思っています。

とりあえず、新聞連載が終わっても、noteの方には、「私の最終楽章のその後、新たな楽章」を書き綴っています。今日は以下の記事をアップしました。

有料の冊子を作ったり、収益化も考えたいと思っています。

noteではサポートも大歓迎です。

何卒よろしくお願いいたします。 

noteより「介護の当事者になって その1〜電動車椅子が届いたけれど・・・」


2022年5月28日土曜日

以前noteに書いた地域活性化案

一つ前の投稿にちょっと書いた、地元の地域活性化案。

以前、noteに書いたものをリンクします。

このアカウントはがん再発の日々についても書いてる「榊原玲奈こと中村有里」アカウントとは別の「ゆり」アカウントで書いてます。

タイトルは「母校の中学校が廃校になるというので・・・」となってますが、よく聞いたら、廃校になるのはまだかなり先のことのようです。まあ、廃校にならずとも、学校の周辺でなにかやるのは今からでもできそうです。

良かったら読んでみてください。 

note「母校の中学校が廃校になるというので、いままで温めていた地元活性化案を思いつくままに書き綴ってみた」