2011年4月25日月曜日

賠償金のせいで電気代値上げとか、ほとんどホラーだ

外では、ゴーゴーと世界の終わりのような強風が吹き荒れている。
ただでさえ、余震が続いているのに、この強風。やめて欲しい。冗談じゃない。
うちのボロマンションが風でも揺れる、あまりの音の凄さに窓を明けたら
放射能も入ってきてんのかなあ・・・、それとも風で吹き飛ばされてんのか・・・。
世紀の初めなのに、世紀末みたいな、もうほとんどSFの世界に私たちは生きている。
現実がSFならば、私の行動もあり得なくていいはずだ。
原子力安全保安院の西山さんが、ウナギイヌに似てるなら、私はバカボンのパパでもいいはずだ。
ならば、パパは、電気代払いたくないのだ。

出荷停止や風評被害に苦しむ農家のところに、
ビニールハウスの暖房費として東京電力の請求が来たらしい。

ずーっと原発反対だった私の電気代が、
東電の賠償金のせいで値上げになるとか、ほとんどホラーだ。
上がった分の電気代は、原子力がクリーンエネルギーだとか言ってた人たちで払ってほしいよ。

それとこれとは話が別という人もいるだろうが、
それならば、賠償金の税負担の代わりに、東電が持っている資産を極力放出すべきである。
もっとも大きいのが送電網。
これを独占しているおかげで、電力会社は民間企業であるにもかかわらず、
競争にも晒されず、高い収益を独占することができている。
これは、放送権と並ぶ巨大既得権の代表だ。

原子力はコストが安いはずなのに、世界一高い電気代を払わされている日本人。
本当に原子力発電のコストは安いのか?

<東電の電気代内訳>
原発の発電コスト+安全確保のためのコスト+
安全をアピールするための広告コスト(メディア等への接待コスト含む)+
東電社員の高給(電力ガス業界などインフラ業の平均月収は70万円超)+・・・
そこに「賠償金コスト」が加わったわけだ。

発電コストのほかにかかるコストというのはいろいろある。
コストが安いっていうデータの意味をちゃんと検証すべきである。

ほんっと、電気代高いよ!


参考:
河野太郎ブログ「ごまめの歯ぎしり」
http://www.taro.org/gomame/index.php


賠償金のための電気代値上げについてのほか、原発問題についての声の上げ方などの記事、要チェックです。

2011年4月23日土曜日

節電は重要だが・・・

このところ、どこへ行っても節電節電である。
しかし、それが本当に必要な節電かそうでないか疑問に思う事もしばしばだ。

例えばこれ
時々見かける2階部分が渡り廊下的な広場になっているビルの外階段。
階段は結構な高さである。
このビルの7階に行く用事があったので、では1階からエレベーターで上がろうと
1階の正面玄関にまわった。

ここにはエスカレーターのことしか書いてないが、エレベーターがある場所に通じる
自動ドアは停止していて、先ほどの外階段をのぼって、2階からエレベーターに乗るしか
上に上がる方法がないらしいのだ。また元にもどって、外階段をのぼった。
私らはまだ、「いい運動」と言って済ませるが、お年寄りは大変ぜよ。

この後、もよりのJRの駅に行ったら、ホームに上がるエスカレーターが止まっていた。
お年寄りや赤ちゃん抱えたお母さんも多いので、こういうのは動かしといて欲しい。
駅というのは、民間企業でも公共の場所だ。
会社のビルの外階段等は、利用する人の多くがビジネスマンなど働いている人と思われるので
エスカレーターが止まっていてもまだ許せるが、駅は動かした方がいい。


こんなことになって、これまで以上に感じるのは、
人間はなんて自分たちの身の丈以上にデカイ建物をこんなにたくさん作ってきたのだろうということだ。
これまで、デカいけど、エレベーターやエスカレーターでスーイスイと思っていたものが、
電気がなかったらとたんに不便な代物に変わってしまう。
人間に合ったスケールってどのくらいなんだろう。

とはいえ、もうぜんぶ平屋にもどしちゃえってわけにもいかないし、
鉄道は無くすわけにいかんので、
なるべく、公共の福祉に合致した節電の仕方をして欲しいと思う。


あと、これ、ATMも結構閉まってる。

ここに案内されている近隣ATM、お年寄りの足で、徒歩だと20分くらいはかかるだろうか。
都バスの場合は老人は無料パスもあるが、バスでお金出しに行くのかあ。
以前過疎地の特定郵便局のことが問題になったが、
民間企業であっても、こうした社会インフラに近い物は、節電対象にしないで欲しいものだ。

勘ぐって申し訳ないが、是非とも、
「節電」をいいことに利益の少ない施設を閉じるような事はしないでほしい。

一方で、必要ないなと思われるところで電気が使われている事も多い。
例えば、一昨日の地下鉄。
4月にしてはちょっと寒い日であったからか、暖房が少し入っていた。
寒かったので、せっかくそれなりの格好をしていったのに、
暑くなって上着を脱いでしまった。
1枚羽織る事でなんとかなる。こういう暖房は必要ないだろう。

今日入った喫茶店でも、少し暖房が入っていたみたいだ。
そこまで寒くないだろ!何のための上着?って思う。

これまでの空調の基準がおかしすぎたから、節電してさえもこうなのだろう。

やはり、大きなビルや会社の一括空調って大きい気がするんだよなあ、東京の場合。
来る今夏の電力需要の厳しさをメディアは煽っているが、
大きなビルの空調のおかしさを適正にすれば、随分と節電になると思う。

これまでの夏、28℃に設定してますといいながら、
結構なビルが実際にはそれより低い体感温度だったように思う。
もし、本当に28℃だったというならば、設定温度はもっと下げられるという事だ。
私は体温は決して高い方ではないが、めちゃめちゃ冷え性というほどでもない。

ここ10数年間の通常の夏と冬、夏は冷房が寒すぎて羽織ものが必要だし、
冬は暖房が暑すぎて分厚いセーターなんて着られなかった。
毎年、冬物の洋服を買いに行って、
店員の「このセーター暖かいですよ」という常套句に対し、
「いまどきの職場は、暖かいセーターなんて汗かいちゃって着れないんですよ」と
憎まれ口をたたくのが恒例となっていた。
夏も、冷房対策用の薄手の長袖のカーディガンを毎年1枚買うのが恒例になっていた。
最近では、メーカーもそういう需要を見越しているようで、夏物新作として
長袖カーディガンが結構目立つところに置かれるようになっていた。

おかしいだろ!

おっさんたちがネクタイと背広をやめればいいのだ。
タクシーのエアコンも寒すぎる。いつも温度上げて下さいと言っていた。
それもおっさんたちが、「あじい、あじい」と言うからだ。
男性の方が体温が高いとは言うけれど、あれは、会社のエアコンの設定温度の低さに
慣らされた部分もあると思う。とにかく背広を脱げ!ネクタイ外せ!
わー、テンション上がり過ぎたーーーーーー。
冷え性のおじさまごめんなさいね。

これまで冷房に慣らされすぎたせいで、
多分、私たちの暑さに対する耐性は弱くなってもいるのだろう。

それに、冷房を強めれば強める程、室外機から出る熱量は多くなり、
東京の炎天下はより厳しいものになっている。
節電で暑さに弱いお年寄りが亡くなったりしたら目も当てられない。
東京のヒートアイランドからの脱却法を、
本気でそろそろ考えなおさにゃだめだろう。

ほかの元気なお方は、
節電というならば、まずは、自分たちの身体の感覚を
節電に耐えうる状況にもっていく努力もしなければならない。

汗はかくもんなんだよ!と開き直る。
着替えを持っとく。などなど。

エアコンバリバリの電気の大量使用が、デオドラント志向の先にあることも
意識した方がいいと思う。
そういう人間の日常生活全てを包括して考える先に
本当の意味での節電がある気がする。

だいたい、体温下がるとガンになりやすくなるのですよ。
わたしはガン体験者だからここは口酸っぱくしていいたいっす!
そう考えたら、エアコンの設定温度もっとあげたくなりませんか。

ここまでテンション上げて書いてきたが、
もちろん、現在のシステムで動いている街を、
急に新しい方針に従って動かせといわれても難しい部分があるかもしれない。
これは原発の話と似ている。
だからこそ、すぐには難しいかもしれないが、
すぐに変える事を目標にして、最大限の努力をすべき項目だ。

我が「火鉢クラブ」は、日常生活の衣食住の中に、
節電出来る工夫を見いだす努力をしていきたいと思う。


2011年4月22日金曜日

第3回火鉢カフェ 宮城酒蔵、福島三島町への義援金報告

4月9、10日両日行った第3回火鉢カフェで集まった義援金を、
昨日、2つの窓口に振り込んできました。以下、義援金の報告です。

<義援金総額>
23,400円

<義援金の内訳>

  • 火鉢カフェの炭チャージの10%

○参加者28人×チャージ500円×0,1=1400円


  • 募金箱投入分 
10900円
  • 合羽橋の炭屋・斉藤商店提供の商品のチャリティオークション
○岩手切炭6kg+特製火起こし⇒5000円で買っていただきました
○珪藻土七輪+特製火起こし⇒5000円で買っていただきました



上記合計、23,400円を、以下の2カ所の団体に
11,700円ずつ送らせていただきました。


<義援金の送り先>

①福島県大沼郡三島町

今回、福島県は大沼郡三島町の会津キリタンで濾過した水をお茶をいれるのに使いました。
この商品は11月の発売という事でまだ購入出来ず、サンプルをいただきました。
次回の火鉢カフェでも、この濾過炭を使用して、福島県を応援したいと思います。



*振込名義は、出島プロジェクト火鉢クラブとすべきところですが、今後の連絡の便宜上
担当者名も入れさせていただきました。

②宮城県酒蔵組合 宮城蔵元救済義援金窓口

石巻で被災した酒蔵「墨廼江酒蔵」の「燗たのし」というお酒を取り寄せて
みなさんでいただきました。とてもおいしいと好評でした。
夏には、冷酒で美味い酒を取り寄せて、火鉢カフェ(夏は涼みカフェですかね)やりたいですね!
 

以上、参加して下さったみなさま、本当にありがとうございました。
今後の企画も考えております。もうあまり時間がないですが、できれば、ゴールデンウイークの
後半にも火鉢カフェができたらと思い、検討中です。今後ともよろしくお願い致します。


2011年4月19日火曜日

「国際森林年国内委員会」傍聴に行ってきました!国際森林年を震災復興に役立てるために。

今年は「国際森林年」だということ知ってます?
毎年国連で「国際○○年」つうのが決まってるんだが、それの今年版が「国際森林年」。

この「国際○○年」で私の記憶に残っている最も古いのは、1975年の「国際婦人年」で
田部井淳子さんたちが世界初の女性によるエベレスト登頂を成し遂げた年。
たしか、りぼん掲載の土田よしこの名作漫画「わたしはしじみ」に
田部井さんたちのことが採り上げられていて、小2にして、そんなことをたまたま認識していた。
1979年「国際児童年」には、当時人気のゴダイゴが「ビューティフルネーム」というテーマ曲を歌っていて、
この曲のヒットで、国際児童年は結構知られていたと思う。
1983年の「国際コミュニケーション年」は、
この年散開したYMOの「以心電心You've got to help yourself」がテーマ曲。
YMOファンであった(今も)私は、この曲によって国際コミュニケーション年というものを知った。
テーマ曲はNHKで頻繁に流れていて、知らず知らずに耳に入っていたのだ。
当時は「国際○○年」に政府も力入れてたのかなと思う。

最近では予算削減なのかこういう広報ほとんどない。ちなみに去年は「国際生物多様性年」。
名古屋でCOP10第10回生物多様性条約締約国会議が行われたにも関わらず、
マスメディアではあんまり話題にならなかった。

今年の「国際森林年」、地球温暖化の問題もあって、森林再生は急務なのだから
もう少し政府もアピールすればいいと思うのだけれど、予算がつかないのか、
一般の人はほとんど知らないのではないだろうか。

そんな中、4月14日、農林水産省で「第2回国際森林年国内委員会」が開催されたので、その傍聴に行ってきた。もちろん、東北関東大震災を踏まえて、今回の議事テーマは「国際森林年を震災復興に役立てるために」だ。
原発事故が人々を不安に陥れている今、建築物の復興だけでなく、森林をエネルギー源として考えることは急務だ。

こういう委員会がどのくらい役に立ってるのかわからないが、
行政の中でどういうことが語られているのか興味もあって参加してみた。
もちろん、「火鉢クラブ」として、自然エネルギー促進、森林再生を考える立場の私としては、
テーマに興味があるのは間違いない。

委員の顔ぶれは以下の通り、国際森林年が知られていない割りには豪華
(にしても、こういうのってどうやって決まるんだろうね?)。

(五十音順、敬称略) 
赤池  (ユニバーサルデザイン総合研究所所長) 
天野 礼子(作家) 
飯塚 昌男 (日本林業協会会長) 
出井 伸之 (美しい森林づくり全国推進会議代表)
井上篤博(セイホク株式会社代表取締役社長) 
内山斉 (日本新聞協会会長) 
大久保尚武(経団連自然保護協議会会長)
草野満代  (フリーアナウンサー) 
坂本龍一  (音楽家、モアトゥリーズ代表) 
佐々木 (国土緑化推進機構理事長) 
 .   .ニコル(C.W.ニコル・アファンの森財団理事長) 
多田欣一(岩手県住田町長)
仁坂 吉伸 (和歌山県知事) 
沼田 早苗 (写真家) 
速水   (速水林業代表取締役社長) 
広瀬 道貞 (日本民間放送連盟会長)   
  岱造 (日本森林学会会長) 
三村 明夫 (日本プロジェクト産業協議会会長) 
宮林 茂幸 (東京農業大学教授) 
養老 孟司 (日本に健全な森をつくり直す委員会委員長)

たった1時間の委員会で、全ての委員が発言したわけではないが、発言した委員の意見は、”これが実現すれば”日本は良くなるのになあというものがほとんどだった。

個人的には養老さんの話を聞きたかったのだけれど、発言の機会無く、残念。
ただ、他の委員の発言から、養老氏が唱えている「参勤交代論」の話が出た。
この「参勤交代」は、都会と田舎を行ったり来たりすればいいんじゃないということ。
例えば、アッパークラスの収入が多い人間は、山村地域にも家を持てば、
田舎にも住宅需要が生まれる、つまり、木材需要も生まれるってこと。
私自身、田舎の実家と東京を行ったり来たりできたらいいなという思いもあって
出島プロジェクトを始めたわけで、このアイディアは賛成!

その他、委員の発言の一部を私の感想も交えつつ紹介する。

<岩手県住田町 多田欣一町長>
多田町長は震災を受けて今回から委員になった。
住田町自体は震災による大きな被害は無く、隣町である大船渡、陸前高田の後方支援を行っているが、
その一環として、地元国産材による木造仮設住宅建設を進めている。
当初、仮設住宅案件は県の範疇、町が隣町のためにやるなんてダメだと各方面からずいぶんお叱りを受けた。
しかし、進めていくと、資金面で支援するという民間団体も出てきて認められ始めた。


なんと、この仮設住宅を請け負う地元第三セクターは、町長の意向を汲んで、
発注前、すでに図面をつくっていたとか。すばらしい!
誰がお叱りになられたかは知らないが、実行力のあるリーダーの前には、
結局黙らざるを得ないという好例だ。


さらに町長曰く、
「小さな町の大きな挑戦だと思ってあえて木造の一戸建て仮設住宅を造っている!」
やるなあ〜。地方自治体あなどれずだ。


誰かが言ってたけど、やっぱりこれからはネズミが象と同じ土俵で戦う時代なんだなあ・・。
東京電力やJALなどの大企業がのきなみ醜態を晒しているだけに感慨深い。

仮設住宅の建設に関して、国交省は基本的にプレハブ協会に建設要請を行っているが、
この方式だと、地元工務店に仕事がまわらない可能性もあることが、
ツイッターでつぶやかれている。
地元工務店を使う事が一番の復興の早道なのに、手続きの煩雑さゆえ国はプレハブ協会なのだろうか? 震災前からこういうことを想定して地元工務店を使う方法を模索していれば、
他の自治体にも住田町のようなことができたろうに。
今後、地方自治の時代に向けての課題である。

今回の住田町のプロジェクトに協力しているmore treesのブログに
この仮設住宅の建設風景が出ているので是非見てみて下さい。

また、この住田町の仮設住宅建設資金を応援したい方は、下記のサイトからどうぞ。

「FSCジャパン震災被災地復興支援緊急募金」http://www.ichise.co.jp/2011/04/06/

  *FSCとはForest Stewardship Council 森林管理協議会のことです

多田町長によれば、将来的に自力再建が難しい世帯には、
恒久住宅として提供する事も模索するということだが、
今後、地震の活動期に入るといわれている日本の住宅は、
このくらいシンプルなものでいいのではないかという気がする。


マスメディアは、国と県の進める仮設住宅のニュースばかり流すんじゃなくて、
こういう画期的な試みを採り上げて欲しい!


ほかにもこうした国産木造仮設住宅の斬新な企画を推進している団体はあって、
田中優氏らの「天然住宅」が、将来の増築移設が可能な、
「仮設じゃない”復興住宅”」というプロジェクトを開始している。
これにも注目です!
詳しくは「天然住宅バンク」のサイトをhttp://www.tennenbank.org/



以下、完結に委員会での各ご意見を紹介する。


<大久保尚武 経団連自然保護協議会会長>
○個人的な提案との前置きで、三陸の海岸線に、各企業が資金を出して緑の回廊のような森を作れれば。
東京都がやっている海の森のようなかたちでやれば、5億円で100haできる。
50億円くらいあれば、被災地に新しい森ができるのではないか。


<仁坂吉伸 和歌山県知事>
○なかなか林業では採算が取れないが、それを解消するには、
間伐が経済的にできることが仕上がりの姿だと思っている。
部分かいばつがやや採算ラインに近い。
しかし、自然災害 などのことを考えても、本当の間伐ができるようになる事が大事。


→なら、私からは皮むき間伐をおすすめしたいです!
「皮むき間伐体験記」http://www.dejima2010.com/2010/07/in.html


○国際森林年が今年なのに、今年こんな事をやってる事がおかしい。
でも、もうありものでやるしかないので、
和歌山県でやる植樹祭を国際森林年風に脚色したい。


<出井伸之 美しい森林作り全国推進会議代表>
エメージェンシーアクションという意味で、支援の緊急性への政府対応に疑問。
また、政府には復興へのグランドビジョンがない。
日本列島を中国や海外の国々が羨むような国になるようなグランドビジョンを持って欲しい。
その中で森をどうするかという考え方をして欲しい。
原発の怖さはわかったので、森と代替エネルギーをからめて語るべき。
森の間伐のための道の脇に太陽光パネルを敷くなどの、はかない抵抗でもいいので、
外国人が羨んで日本に視察に来るようなグランドビジョンをもってほしい。


<赤池学 ユニバーサルデザイン総合研究所所長>
震災復興のその先の価値開発を。
国際森林年を日本刷新の本格的な議論の機会にして欲しい。
日本の家作りどうするのかを考えると、
伝統工法を使えない現状の建築基準法がどうなんだという話になってくるはず。
養老先生のおっしゃる参勤交代論など、ライフスタイルや山村のあるべき姿とか考えたい。
バイオマス路線の普及も含めて、電力自由化のことなど、
骨太のエネルギー議論をできる機会にしてほしい。


<C.W. ニコル 氏>
家のぬくもりは「火」。安全で安くて頑丈な薪ストーブを考えた。
石油やガスが無い場所などでは便利。またチープな石油やガスのストーブは危ない。
それを考えるとこのストーブはいい。こうした器具のイノベーションも考えて欲しい


田舎に住みに来てよ!


<天野礼子 氏>
「三陸バイオマスタウン構想」というのを総理に提出した。
木材の乾燥は今、90%以上は重油でやっているが、中には木屑を燃やして
木質バイオマスエネルギーでやっているところもある。そういうことをやってはどうか。
養老さんのやっている参勤交代論の一形態に近いが、紋別市が港区に対し、
もし港区で災害があった時には、紋別の木材と資材を供給する、
また、災害がひどい時には港区民は紋別においで、という契約を結ぼうとしている。
都会の人間は田舎にも逃げ込む場所を作っとこうという提案を林野庁からもして欲しい。


<飯塚昌男 日本林業協会会長>
民主党政権は100万人の雇用を作ろうと言っていた。この機会に被災者を雇ってほしい。また林野庁として、林業の現場に雇用を作って欲しい。
生椎茸の風評被害があるが、こういうことを広報する場合、だめだというなら、
補償の方法を明示してから広報して欲しい。


<佐々木毅 座長>
今年の夏は再び計画停電に直面するかもしれず、森林保全啓発のプランを考えてもいいかなと思う。




委員会の内容は以上。


割愛した人もいるが、だいたいはこのような意見だった。
これらの理念が実現されれば本当にいいことなんだけど、
仁坂和歌山県知事も言っているように、今年が国際森林年なのに、
今頃こんな会議やってるってどういうこと?との感は否めない。
この意見が行政の手にかかりどのように実践されるかは未知数だ。


今回の委員の話の中では、行政の慣習を破って反発にもめげず独自の仮設住宅を作っている
岩手住田町の多田町長の話がもっとも興味深かった。
最初は批判を浴びても続けていれば、政府も認めざるを得なくなって、
こうして国際森林年の国内委員にまで選ばれるのだ。
みなさん、自主規制なんてしないで信念貫きましょう!


というわけで、私は政府に頼らないで、ぼとぼち独自でプランを進めて行くとするか・・。


「火鉢クラブ」では、前回4月9日10日に行った第3回火鉢カフェに続き、
しばらくのあいだ「電気が無いなら炭を使おう」のコンセプトで、
イベントを企画したいと思っています。


火鉢クラブは火鉢や炭火のみならず、日本の伝統的な住環境の心地よさを
現代に生かすことを目標としています。
夏の暑い時は、「電気無しで涼を感じる」をテーマに
火鉢カフェ夏バージョンを企画する予定です。


イベントはこのブログで告知しますので、よろしくお願いします!




追伸:
ところで、いまさらだけど、モアトゥリーズやってる坂本龍一氏とか小林武史氏とかミスチルとかで「国際森林年」のテーマ曲作りませんか!私的には、「ONGAKU」みたいな曲希望!


2011年4月13日水曜日

第3回火鉢カフェ報告〜その2〜「日本での暮らし方」を考える


今回の火鉢カフェは、震災の影響もあり、カフェでの話題はもっぱら
次世代エネルギーや今後の私たちの暮らし方についてだった。
自然エネルギーへの転換はもちろんのこと、社会のあり方などにも話は及んだ。
というのも、この火鉢カフェの会場である長屋が、まさにその社会のあり方を示唆していたからだ。
今回は、そんなに寒くなかったので、常に縁側のガラス戸を開け放っていた。
すると、通る人々は中をのぞいて、近所の人は必ず挨拶をしていく。
中から顔を向けて目が合えば、知らない人でも「こんにちわ」と声をかける。
そうした、かつてはあった日常が、まだここには残っていることを、参加した方の多くが
感じていたと思う。
ドアのチャイムを鳴らさずに宅急便屋さんがやってきたり、
お向かいの女の子が部活から帰ってきてお帰りとか、子どもが入園式を終えて戻ってきて、おめでとうとか、そういう会話が交わされていた。

先日、作家の高橋源一郎氏が、雑誌のSIGHTでの対談で、宮崎駿氏と会ったという話をしていた。
宮崎氏は次回作のために、昭和30年代の「町の音」を収録しようと日本中をロケハンして廻ったのだそうだ。
しかし、そのことによって、もはや日本には「生活音」は存在しないことが分かってしまった。
最終的には屋久島まで行って、昭和30年代の町の音はもう日本にはないことを確認したのだ。
気密性が高い現在の住宅事情では、朝のまな板の音も、雨戸を開ける音もなく、子どもの声も聞こえない。密閉された空間に閉じこもり、音をたてずに過ごしている。窓も開けない。

それが、現在の疎遠な地域社会を作ってしまったのだろうか。

私は、地域社会のあり方は、住宅のあり方によって少なからず規定されると考えている。
住宅の形態が変わる事によって、人間関係も変わってきた。
木と紙でできた、隙間だらけの低層の住宅が建ち並ぶ社会から、
コンクリートで密閉性の高い、高層マンションが主流の世の中に変わっていった事が、
今の社会を形作る上で大きな影響を与えていると思う。
もちろん、プライバシーという概念が導入された事は悪いことではない。
でも、よく考えたら、家や部屋に関するプライバシーなんて、
部屋を汚くしてるからお客さんには入ってもらえないとか
恥ずかしいとか、その程度のことのような気もしないでもない。

この宮崎駿氏の話には続きがある。
さらに彼は、「アニメは僕で終わりです」と語ったんだそうだ。
なぜか・・・。
「火とか水とか風とか音とかを再現するのがアニメ」で
「それを知らない人間には再現できないから、もう不可能です」ということらしい。
彼曰く、最近のアニメーターは炎が描けない。なぜ描けないんだと聞くと、
「見たことがない」と答えるらしい。

確かに。
今回カフェに来てくれた方のほとんどは、炭火は非日常だと言っていたし、
20代の女性は、私たち世代には全然未知の世界と言っていた。
本当に「炎を見たことがない」若者がほとんどなのだろう。

私は年齢40そこそこでも、ゾンビのように生き残った商家の長屋、
さらに向かいに鎮守の森、自転車漕げば海があり、という特殊な環境で育ち、
五右衛門風呂とか、秋の落ち葉炊きとか、海を渡る風とかを日常的に経験している。
火鉢カフェでの炭火も別に珍しくはない。でもそれは多分特殊なのだ。

*火鉢クラブ設立のきっかけとなった内子町石畳の炭窯

今、宮崎氏はアニメを自分とともに終わらせるための葬儀をやろうとしているという。

宮崎駿のアニメは、そのストーリーの好き嫌いはあれ、
水のたゆたい方や、風の流れや、木のざわめきにおいては、
確かに、自然のそれを経験した時の記憶を包含しているような気がする。
自然を目の当たりにした時に感じた、快楽や恐怖感や説明できない色々な感情を
そのセル画を重ねた映像は呼び起こすのだ。確かにそれは他のアニメとは違うかもしれない。

「アニメ」が「アニメもどき」になっていくのは時代の宿命かもしれない。

でも、私には「葬儀」をやろうとは思えない。
炎を知らない若い人に「火を扱う事を知ってみない?」と呼びかけたい。
別に、昔に戻りましょうと言いたいわけでもない。

ただ、火を扱うことは楽しいのだ。それを伝えたいだけだ。

理屈を言えば、今回の火鉢カフェのテーマにも掲げたように、
震災等で電気が止まるような非常時には、炭や薪などで火を使えることも必要だともいえる。
火は人間の文明の源でもあるから、それを忘れる事は、重要な何かを忘れるようなものだ、
とも言えるかもしれない。

けれど、なぜ火鉢カフェなんかをやっているかを本能に従って答えれば、
「火は楽しい」というところに行き着く気がする。

火がつくまでの過程、その上でモノが焼ける様、焼けたもののおいしさ、
火の側にいる気持ちのよい暖かさ、火力を強めたり弱めたりコントロールする面白さ、
大きくなったり小さくなったり、強くなったり弱くなったりする炎。そして、その赤い色。

面白いのだ。

しかし、それがゆえに使い方を誤り、炎が牙を剥く事もある。
その怖さを知るにも火を使ってみなければわからない。

使いながら、「火」の人間にとっての意味、現代における意味を考えてみたいと思う。
現代の生活の中で、火を扱うメンタリティを生かしたエネルギー政策とはどんなものだろう。

誰もその姿を直接は見ることのできない「原子力」という火を捨てて、
その姿を拝める「原始的」な火について、いま一度考えてみる事も、
次へのステップに行くためには必要なんじゃないかと思う。

自分でも分かったような分からないような締めだけど、これから考える事は多いということだけは確かだ。

第3回火鉢カフェ報告 その1

「電気が無いなら炭を使おう」をテーマに、福島の炭を熾し、福島の濾過炭で濾した水でお茶を入れ、
宮城の酒を試飲した第3回火鉢カフェ。4月9日、10日、初めての2日連続開催でした。
もう、大盛況!と言いたいところですが、初日は雨、翌日10日は、2日前に追加開催を告知したので、
知られていなかったのか、天気がよかったにも関わらず、客足はまばらでした。
原発事故による放射能汚染の問題もあるのか、9日に雨が降ったのは痛かったです。
ただ、来ていただいたお客さんとは、炭火の話、自然エネルギーの話、地酒の話で盛り上がり、
人数は少なかったけれど、とても有意義な会となりました。
30人近くの方にご来場いただきました。

では、
第三回火鉢カフェの報告です

根津は藍染め長屋の澤田さんちの軒先も春めいて、アケビが緑を滴らせ、
紅葉の青葉が清々しい中での火鉢カフェとなりました。



アケビの花なんて見た事ないという方のために、花のアップを。

花の向こうにボケて見えているのは、澤田さんが染め物で使うクチナシと唐辛子です。


いつもの玄関と縁側。  縁側には火鉢を花器にして花を生けてみました。
この火鉢は茶室用で、中に炭を入れて使う暖房用。

縁側に募金箱も置いて、入ってくるとき目に入るようにしたのですが・・・。
裏道なので通行人もまばら。思った程は集まらず残念な限り。
またGWにでもイベントを企画しようか、構想中です。

というわけで、やっと中に入ります。

参加者は合計28人だけど…。盛り上がりました!

8畳一間のカフェは、少しのお客さんでいっぱいです
(募金を集めるにはもっと広いところでやらなきゃダメかもしれません)。
しかし、お客さん少ないながらもおおいに盛り上がりました。少ないといっても室内はいっぱい。
火鉢カフェというより、囲炉裏カフェになっちゃってます。結構あったかかったので、熱源は
この囲炉裏と、火鉢一つだけにしたためです。

もう一つの熱源の火鉢とはこちら。
この珍しい猫足の火鉢は、合羽橋の炭屋「斉藤商店」さんからお借りしたものです。
まわりに湯のみが置けてとても便利。みな口々に「欲しい!」。


500円の炭チャージでお茶とお酒はフリー

と、こんな設えで始まった第三回火鉢カフェ。

炭は告知の通り、福島産の炭を中心に使いました。
炭が主役にも関わらず、炭のヨリの写真が無くてすいません。
接客しながら、ふと気づいた時に写真を撮るので、どうしても取材をするようには
万全に写真を撮れないのですね・・・とほほ。

写真の囲炉裏の真ん中に見えているのが焙烙(ほうろく)です。
緑茶を炒ってほうじ茶にして飲んでもらいました。
もちろんお水は、福島の桐炭を加工した濾過炭会津キリタン「桐切舞(きりきりまい)」で
濾過した水です。
この濾過炭を開発しているのは福島県大沼郡三島町の商工会と役場で作った
三島町炭化プロジェクト委員会事務局です。
この会津キリタン「桐切舞」の発売は11月ということで、ちょっとお待ちいただく事になりますが、
興味のある方は、上記のURLをクリックしてみて下さい。

また、三島町ではいわき市をはじめとした自治体の被災者を受け入れ支援しています。
被災者や支援についての情報と、
三島町への義援金をお考えの方は以下のページをご覧下さい。


次に、宮城石巻のお酒「墨迺江」。
会場写真の右下隅にちょこっと、とっくりの口が見えていると思いますが、
これが墨迺江酒造の「燗たのし」のぬる燗です。
現場で写真撮るのを忘れてしまい、事前に撮った写真でご勘弁。
みなさん、美味い!と舌鼓。

10日閉店間際には、「墨迺江」でネット検索してこの火鉢クラブのブログにたどり着き、
カフェまでやってきて下さったという地酒好きの女性もいらっしゃいました。
なのに、火鉢カフェの案内看板に不備があり、澤田さんちにたどり着くまで
1時間も迷ってしまったということで、本当に申し訳ない事をしてしまいました。
とはいえ、墨迺江「燗たのし」にはご満足いただけたようです。
このお酒「燗たのし」というだけあって、やはり冷やより燗のほうが美味しい気がします。
火鉢カフェにぴったりのお酒、墨迺江酒造さん、がんばって来年も「燗たのし」
よろしくおねがいします!

火鉢カフェは終わってしまったので、あとはみなさま各自、
以下のサイトから募金にご協力いただければと思います。




「宮城蔵元救済義援金」お願いページ 
http://bit.ly/fjGvcW(←クリックで飛びます)



また、今回は、火鉢カフェの常連、愛媛県内子町の酒六酒造さんから、
酒粕も提供していただいたので、甘酒もフリーで振る舞いました。
酒六酒造さんが、自信をもって勧めて下さった酒粕だけに、アルコール臭さは無く、
上質なヨーグルトドリンクのような感じさえする飲みやすさ。美味い。
普通のお酒は飲めないという女性も、この甘酒なら飲めると、何杯もおかわり。
あまりに気に入られていたので、お土産にペットボトルでお分けしました。
ちなみに、上の写真は一日目の甘酒です。二日目は黒砂糖を入れ、焦がしてしまったのでもっと
茶色い色になってしまいました。



サザエさんも作ってた?こんなものも初登場

また、今回いろんな火鉢をご提供下さり、とてもお世話になった合羽橋の斉藤商店さんですが、
さらに、こんなものもいただきました。炭団(たどん)です。
私自身も、炭団は初めて。お客さんからも「かわいい!」の声が!
また、お客さんからは「サザエさん」の漫画(本)の中で、
サザエさんが炭団を作っているシーンがあったという話を聞きました。
かつて、炭が家庭の熱源の中心だった頃は、大量に出る炭の粉を、
少しでも無駄にしないよう、家庭でもそれをかき集めて炭団を作っていたのでしょうか?
今では、炭団が何でできているかわからない方も多いようで、
ほとんどの方が「初めて見た」とのこと。
炭団は、炭の粉を水で練り、ふ糊で固めます。

火がついた状態がこれ。かなり時間経ってます。結構長もちするのにはびっくりでした。
これは、火のついた炭団を割っちゃった状態ですが、
丸いまんまだとまるでドラゴンボール!


斉藤商店さんによれば、もう島根県の業者しか作っていないとの事ですが、
こんなに良いもの絶やさないで欲しいなあ・・・。一気にファンになってしまった。

備長炭で炊く羽釜のご飯はスゴい!お金をかけない贅沢


ところで、上の写真の炭団の横に転がっているのは紀州備長炭です。
基本的には福島の炭を使ったのですが、カフェの最後に、ご飯を炊くために備長炭を使いました。
もちろん、囲炉裏でではなく、こちらの珪藻土の七輪に羽釜を乗せて炊きました。
ご飯を炊くには、火力の強い備長炭でなければなりません。けれど炊飯自体は思いのほか簡単でした。
真っ赤に焼けた備長炭を七輪に入れ、お米と水を適当に入れた(本当に適当な計量)羽釜を
上に乗っけて、ただ待つのみ。
湯気が出たのを見計らい、その湯気がちょっと焦げ臭いなと思ったら、火から下ろして蒸らすだけ。
何分とか時間を気にするでもなく、途中火加減も見ず、ただ放置。
途中一度、湯気の臭いを確認しただけ。
蓋から吹きこぼれる事も無く、火が燃え上がる事も無く、静かに静かに、
知らぬ間にご飯は炊きあがっていました。

炊きあがりのきれいな状態を写真に撮れれば良かったのですが、またこれもタイミングを逃し、
気づいた時には・・・。
でも、美味い!!!
普通の値段のお米です。その上、あんな適当に炊いてこの美味さ。さすが炭火あなどれず。

今回も販売した、おなじみ愛媛県は内子町小田の原木椎茸と海苔を焙って一緒に食しました。
なんという贅沢!でもちーともお金かかってないんですよね。みんな普通の値段。
このご飯サービスは、10日の閉店前にいらしたお客様だけになってしまったので、
今後はもっと食べていただけるよう工夫出来たらと思います。

これ、今回販売した内子町小田の原木椎茸です。
このお客様は、1日目来店でこの椎茸を気に入って、
翌日も買いにきて下さいました。そして募金もしてくださいました。
にしても立派な原木椎茸でしょう! マジうまです! また取り寄せますね。

というわけで、二日間の火鉢カフェは無事終了。
ただ、参加人数が少なく、募金があまり集まらなかったのが残念でした。



火鉢カフェで集まった募金について
第三回火鉢カフェで集まった募金額は、まだ一部受け取っていない募金分がありますので、
その分を受け取ったら、まとめて報告致します。少々お待ち下さい。


というわけで、以下、今回の火鉢カフェで考えた事を書こうと思ったが、
書き出したら長くなったので、ここで分けます。


次回は
火鉢カフェのテーマ「日本での暮らし方」を考える