2013年7月28日日曜日

宮崎駿監督の「風立ちぬ」を見てきました。


「国破れて山河あり」。
震災後、ずっとこのフレーズが頭の中を漂っているのですが(内田樹さんがよく使われているのもありますが)、「風立ちぬ」を見て、最初に浮かんだのはこの言葉でした。

冒頭のシーン。屋根の上から見晴るかす山並みと田園は、まさにそこを飛行機で飛びたくなるような素晴らしい風景。まだ何も物語は始まっていないのに、涙がこぼれました。そこにあったのは、戦前の日本の美しい景色。雄大な自然の風景だけではありません。蚊帳の向こうにボケる庭、低い町並みと看板の一つ一つ、町行く人の服装、立ち居振る舞い、牛が飛行機を運ぶ道行き…。歩くスピードで生きる人々の暮らしの風景は、黄昏時を思わせる、なんともいえない色気のある美しさでした。

実話をもとにした話ですから、描かれる風景は、夢の一部をのぞいては、かつての日本の実際の風景なのでしょう。それは、これまでの宮崎映画に出て来る空想や歴史資料を元にしたずっと昔の景色ではなく、戦前生まれのお年寄りならぎりぎり見たことがある、また私たちもう少し若い世代も写真で見たことがあったり、想像がつく、手に届く時代の日本の風景です。

飛行機の映画ですから、上空からの俯瞰で描かれる景色もたくさんあります。飛行機って風景を眺めるためにあるのだなあと思ってしまいます。それも、風景を“眺める”だけでなく、風に乗り、風景を“感じる”、風景と”一体になる”ためにある。 

唐突ですが、今人気の朝のテレビ小説「あまちゃん」のオープニングタイトルもラジコン飛行機からの映像です。三陸海岸の風景がやたらとグッとくると感じていましたが、ああ…と納得しました。

そのように、飛行機は使い方によっては、美しい風景をより美しく見せてくれるものです。しかし、戦争は飛行機から見た風景を、血の海に、ガレキの山に、荒野に変えてしまいます。

映画のパンフレットには「飛行機は美しい夢」と題された宮崎駿監督の企画書が掲載されていて、その末尾は「全体には美しい映画をつくろうと思う。」で締めくくられています。まさにそんな映画でした。

限られた時間を一生懸命生きる…という多くの紹介記事に書かれているテーマについても思いは巡りましたし、自分にも時間は無い…と身につまされはしましたが、今の自分の涙腺を最も緩めたのは、風景のほうでした。自分の仕事はこれです!と胸を張れる自信の無い私にとって、生きねば!のほうに心が動いてもいいはずなのに、涙が出たのは風景でした。

「もののけ姫」や「ナウシカ」の時は、映画を見ながら文明論めいたものを言葉で考えようとしました。しかし、この「風立ちぬ」はそういう気にならなかった。いろんなことが考えられそうだけど、それで出てきた言葉は空回りしそうな気がします。風景が語るものは思ったより多い。いや、多過ぎて複雑で説明することができない。考えることを放棄しているだけなのかもしれませんが、ちょっと立ち止まって、言葉の無い風景に涙が出てきた意味を考えて見ようと思います。

「国破れて山河あり」。
しかし、今の日本は、原発事故という未曾有の出来事によって、この自明の真理さえ覆されかねない状況です。やっぱり、国破れても山河は残らなければならない。「風立ちぬ」に描かれた日本の風景を見ていて、あらためてそう思いました。

でも、「風立ちぬ、いざ生きめやも」の方に私がそれほど反応できなかったのは、人間社会を怖がっているからなのかもしれません。そんなことを考えて打ちのめされてもいます。そういう意味では、この作品が駄作であることを望む…。

とりあえず、第一弾の感想です。時間が経つとまた変わるかもしれません。