2021年5月1日土曜日

5月3日14時開催!「サバイバル寺子屋〜長生きするための細胞とオートファジーの話」ぜひご参加ください!

このGWから新しいことを始めようと思います。

火鉢カフェを作るのは資金的にも体力的にも今は厳しそうなので、将来、常設の火鉢カフェができたときに、そこでやりたいと思っていたトークイベントを先にオンラインで形にしていくことにしました。
題して「火鉢クラブのサバイバル寺子屋」。

文字通り、サバイバル=生き延びるための学びの場です。
これまでも言ってきたことですが、乳がん再発、実家のローン、フリーランスで不安定な収入、そして、おひとりさまといういくつもの難題を抱える私。そんな崖っぷちの私がサバイバルし、さらにそれを解決していくために、これは役に立つのではないかと思ったテーマならなんでも(ということはなんでもありってことなんですが)、毎回、その道の専門家にお話を伺います。
その第1回は「がん患者が聞く 長生きするための細胞とオートファジーの話」です。
細胞内のリサイクル機能「オートファジー」の仕組みを解明してノーベル医学生理学賞を受賞した大隈良典東工大栄誉教授の共同研究者である大阪大学の吉森保教授をゲストにお招きし、がん患者である私が、患者ならではの視点で吉森先生に長生きするための細胞の仕組みと、ノーベル賞に輝いた「オートファジー」についてとことん伺います。

開催はもう明後日。こちらのブログでのお知らせが遅れてしまいましたが、もしお時間余裕がある方、ご興味ある方いらっしゃいましたら、ぜひご参加いただけると嬉しいです。


これまで、自分のがん細胞について考える中で、ミトコンドリアについて調べたり、幹細胞に興味を持ったり、「細胞を知る」ということはずっと私のテーマの一つでした。そんな中、去年、報道番組に在籍し、コロナについていろいろ調べていた中で、吉森先生がnoteやfacebookに書かれていた知見に共感し、連絡を取らせていただいたのが、知り合うきっかけでした。facebookを見ると、共通の友達が何人もいて、快く友達承認いただき、今に至ります。吉森先生、資金のない私にご配慮くださり、今回、なんと無料でご出演くださいます。これはなんとしても成功させ、ここで出た利益を次回以降につなげていきたいと思います。
これまで、こういうイベントをずっとやりたいと思っていましたが、有料のイベントとしてやっていけるだろうかとの迷いがあり、これまでなかなか始めることができませんでした。しかし、昨年5月、医師からの厳しい言葉を聞き、これまでと同じような感覚で仕事していたら本当にまずいかもしれないと思い、一昨年の夏に再開し、久々に経済的安定を得ていた報道の生番組の仕事も去年の夏に辞め、これからの働き方を考えてきました。
本当なら仕事は休みたいところですが、経済的にそんな余裕もなく働かざるを得ない。しかし、他人のニーズに合わせた仕事で体力を消耗していては、今の私はサバイバルできないかもしれない。お金のために消耗することのないように、今の自分に必要な学びをそのまま仕事にできないかと考え、有料のオンラインイベント「サバイバル寺子屋」を始めることにしました。
というわけで、「サバイバル寺子屋」では、自分のペースで、自分が元気でいられるために必要なことを学び、みなさんと共有できればと思います。私の必要から選んだテーマでも、必ず全ての人がサバイバルするための種がそこにはあると思います。
2回目以降も健康になるために知るべき基礎情報、精神の安定を図るための哲学や仏教、生き延びるための自分ごとの政治学、社会学、時には植物や動物の生態から生き方を学んだり、食べ物について学んだり、時には新しい生き方に挑戦する人に話を聞いたり、今後、私自身が生き延びるために役に立つと思ったものならなんでもテーマとしてとりあげようと思います。
【最後に】
自分が生き延びるためにほかの選択肢はあるのか?
いろいろ考えました。
説明すると長くなるので、それはまた改めて別のところで書きたいと思いますが、簡単にいうと、まだある程度仕事のできる今、いくらバクチでも、自分が楽しく、希望を持って生きられる方向を選んでみたということに尽きます。それが自分の病を良くするという意味においても最善の方法で、本気で奇跡のサバイバルを目指してみようかと思ったのです。
もっと元気な時に始めておけばよかったな・・とも思いますが、人間、「死ぬかもしれないよ」って言われないと、なかなか踏ん切れないものなんですね。そう言われたってできないこともある。そのくらい人間は怠惰です。ここ数年で身に染みました(そんなの私だけかもしれないけど)。でも、「死ぬかもしれない」って本気で思って、初めて「生きられるかもしれない」って思えた気もします。「死ぬかもしれないのに生きられるかもしれない」。不思議ですよね。このへんのことは、またあらためてnoteにでも書こうと思っています。
また、noteではそんなこれからの自分の日常を日記的に書きながら(まだ立ち上げてませんが)、お布施を募ってみようと思います(笑)。日記を書くことが托鉢になるといいなあ・・・。
今やっているテレビの5分ミニ枠の仕事は、いい番組なので、できる範囲で続けようと思います。また、なかなか成立しないですが、構成だけを担当できそうな新たな番組企画もたまには出してみようかなと思っています。あくまで、今の自分ができる範囲で、自分がやりたいと思うことだけやっていく。
なるべくストレスを感じないよう、体に負担がかからないよう気をつけながら、日々考えたことをどんどん外に出していく。それが身体の毒抜きにも繋がる。そんな日常になるといいなと思います。
本当に私はいろんな方に助けられて生き延びてるなあと実感しています。この感謝を成功につなげねば!
他にも報告したいことあるのですが、長くなるので、それは、また別の投稿にします!



2021年2月25日木曜日

母校の中学校が廃校になるというので、いままで温めていた地元活性化案を思いつくままに書き綴ってみた

 

私の母校である愛媛県八幡浜市の愛宕中学校が廃校になるという話を聞いた。市内と海を見下ろす高台にあり、ちょっと坂道を登るけど、いい運動になる。リンクのビデオがその学校の周りをちょっと歩いたときのもの(適当に撮ったので、手振れがひどいですが見てみてください)。

これを少し降ったところに、私が子供の頃大好きだった児童館がこれも閉じられたまま、利用されず廃墟っぽくなっている。その下には町で一番大きな神社もある。学校から少し登ったところには赤い小さな鳥居がいっぱい並んだ、プチ伏見稲荷のようなお稲荷さんもあって、そこはかつての私たちのマラソンコースでもあり、横を通る時ちょっと怖かったが、京都で1番人気の観光地が伏見稲荷ということを考えると、これも活かす方法がありそう。ここ、ちょっと散歩するには本当にいい場所なのだ。
ここに、見晴らしのいい銭湯&飲食施設などあったら、草野球した人が利用するんじゃないだろうか。海を見下ろすカフェとか。
この場所にもう少し桜の木を植えて(少しはあるが)、ここを運動公園のようにして、建物は集会所や市民の憩いの場として使えばいいと思う。体育館もあるし、少し下ったところにある児童館も活用できるはずだ。
そうそう、校庭とは別にここにはテニスコートもある。学校にはプールもあるし、そういえば、音楽室とかは大きな音の出せる楽器の練習の場にもなるはず。音楽を楽しむ拠点を作れるかもしれない。家庭科室はお料理教室だってできる。元学校というスペックをフルに生かした活用法が考えられる。
そして、これはずっと考えていたことなのだが、山の下にあるシャッター商店街と繋いだウォーキングマップを作りたい。地図を作るくらいなら、そんなにお金もかからないし、地域活性のとっかかりとして。
ウォーキングマップのことは、最初、シャッター商店街に人を呼ぶためのアイディアとして考えていた。高齢化の進む地方の町で、駐車場がないために人が来なくなった商店街。アーケードもあるので、雨の日も濡れない。晴れの日は可動のアーケードを開けて、青空散歩道にする。これからは予防医学も重視される世の中である。この商店街をウォーキングロードとして、途中に休憩ベンチなども置き、ウォーキングマップを作って、距離や消費カロリー、途中のお店などを書き込む。閉まった店やその前はキッチンカーやカフェなどやりたい人に安く場所を貸す。そして、山の上の中学校廃校後の運動公園とつなぐ。
そういえば、4月に行われる市長選で、新人の対抗馬が、港にある道の駅と商店街の間の通りに店を誘致して、港と商店街をつないで活性化したいという案を出しているらしいが、ならば、そこからさらに、山の上の見晴らしのいい場所までを繋いで、市内中心地をめぐるウォーキングマップを作ってはどうかと思う。是非、私に作らせて欲しい。
途中には知る人ぞ知る地元出身の建築家・松村正恒の建物(上記の児童館もそうじゃないのか??)である旧図書館(閉館中)や、ヴォーリズ設計ではないかと言われる教会とかもある。いわゆる古民家もいくつかあるみたいだ。それらが活かせれば、かなり街の空気は変わると思う。旧図書館の2階はミニシアターにするのもあると思う。もちろん、新しい建物など極力建てない。耐震補強して、リフォームする程度。
そうそう、港にはボロい港湾ビルがあって、そこから海と出ていくフェリーを眺める景色が泣ける。今、別場所に新しい港湾ビルが建てられているが、この古いビルも壊さず残して、「海に落ちる夕日を眺めるカフェ」になったらいいのにと思う。今あるレストランの海側に窓をつければそれだけでいいと思う(なぜか海側が厨房になってて、窓がない)側面にテラスもあるし。耐震的にどうしようもなくて壊すとしたら、ここに小さなカフェを作ろう!夕日を見ながら飲むコーヒー。朝は東側に山を見ながらモーニングだ。
そういえば、この町はトライアスロンのコースもあって、大会が開けるらしい。だとすれば、健康増進の町を標榜することもできる。病気にならない健康自治体を売りにして、港に揚る美味しい魚や柑橘類もアピールできるかもしれない。
「観光」という点で見るとあまり派手でもないし、経済効果は分からないが、地域活性化の一番は、地元の人間がどれほど使えるものを作るかだと思う。
もしかしたら、これは長年、地元を離れている私の発想であって、地元の人はこういうものを求めていないという場合もあるが、地域活性化というと、新しい箱物ばかりができて、風景や文化財が全く利用されていないのを見ると、ちょっと一言口を出したくなる。
でも、昨年10月、一時帰省した時、母の友人(一人暮らし70代後半)は、私たちが気軽に立ち寄れて、集まれる場所を作って欲しいと言っていた。コロナが終息する頃にそういう場所ができているように、計画できないものか・・。
火鉢カフェは都会でこそやりたいけれど、自分の故郷のことも時々考える。「二拠点」ということがこの頃言われるが、自分の生まれた街のことなのだから、ちょっとくらい口出してもいいよね。実家のローンもあるしさ・・。
これを読まれた同郷の方、どう思います?
番組の編集始めないでこんなこと書き始めちゃったけど、これからはこういうことも仕事にしていけたらいいのにと思う。して行けたらという前に、実際に提案だけでもしてみたい。
そして、この提案の顛末をブログなどで公開して行けたらなって思ったりもしている。


2021年2月17日水曜日

いよいよ明日「絶望の中のユーモア」対話の会。ぎりぎりまで申し込めます!


 
いよいよ明日の開催となってしまいました。

チケットの申し込み、カード決済なら明日まで大丈夫だと思いますので、よかったらご参加くださいませ(コンビニ・ATM払いは本日2月17日中)。


zoomで参加者も対話に参加できる形式で行います。試聴だけされたい方、お名前伏せたい方はニックネームでビデオオフでご参加ください。

「絶望の中のユーモア」というテーマが宇多田ヒカルのツアータイトルからということで、今回、宇多田さんと対談されたことのある方もご参加くださるそうです。なんだか、私よりもずっと言葉豊富に語ってくださる方がいそうな予感。一方的なトークイベントではなく、良い感じに対話できればと思います。

そもそも宇多田ヒカルが「絶望の中のユーモア」というテーマに至ったきっかけが、乳がん発覚と人生のいろんな問題が同時に降りかかり、それをネタにすることで生きる力を取り戻したというティグ・ノターロというアメリカの女性コメディアンのドキュメントを見たことだったようで、そこらへんの話もすることになりそうですが、なんだか今の私は、ティグ・ノターロの状況なんてたいしたことないわよとか、不幸のマウンティングをしてしまいそうで怖いです(笑)。この末尾に(笑)をつけることで客観化しようとするんですが、この(笑)が曲者で、本当はちっとも笑ってなんかいないんですよ。この(笑)の裏側にあるどんより顔が見えますか?そのくらい「絶望の中のユーモア」というのは複雑で、自分にもよくわからない。そんな大それたテーマを掲げて話をしようっていう無謀なイベントです。私にも話がどう展開していくか読めません。参加してくださった方のご意見を聴きながら、それについて応えながら、何か見えてきたら良いなあと思います。

時々刻々と自分の気分も上がったり下がったりして、何もやる気が起こらず、もう死んでも良いのかもなって思ったかと思うと、その日の夕方には文章書こうって思ってたりする。あれもこれもやりたいって思っていたりする。そして、「それでも生きていく」って、坂元裕二のドラマのタイトルみたいな言葉を思い浮かべ、いや、あのドラマの境遇ほどには私は大変じゃないだろ、じゃあ、「それでも」じゃなくて、「やっぱり生きていく」くらいかななんて思い直し、自分の人生も考えようによってはまんざらでもないのかもしれないと、悲劇的な気持ちから脱出する。人生なんて、そんな「脱出」の繰り返しでなんとか生きていくもんなのかもしれないな。ユーモアとはその脱出のことかも・・。

というわけで、これって明日話すべきことだよなってことをここでつらつら書いちゃって、明日話すことあんのか?って自分が心配になりますが、いろんな話ができたら良いなと思います。

真言宗のお寺さんのイベントなので、このところ私がよく言ってる即身成仏とか、托鉢で生きていくとはって話もするかなあ・・。火鉢カフェの話などもできればと。

ほんまによかったら、1000円の参加費がかかりますが、ご試聴だけでもご参加くださいませ。

2021年2月3日水曜日

2月18日高野山真言宗高福院さんのオンライン対話に出演します



2月18日、目黒の高野山真言宗・高福院さんにお誘いを受け、こちらのオンライン対話イベントで副住職の川島さんとお話しさせていただくことになりました。テーマは「絶望の中のユーモア〜コロナな日々を生きのびるために」。コロナな日々を生きのびるというサブタイトルを付けましたが、それは今がたまたまそういう状況だというだけで、より普遍的な話ができればと思います。


常にがけっぷちと言い続けてきた私ですから、このテーマに不思議はないのですが、これは私からの提案ではなく、川島さんからのご提案。私がたまたまTwitterで、宇多田ヒカルのライブ「絶望の中のユーモア」について、「絶望の中のユーモア」というのは私も今もテーマでもあるというようなことを呟いていたところ、宇多田ファンの川島さんがそれをご覧になって、お声がけくださいました。その経緯など、詳しくは以下のpeatixのサイトの告知をご覧ください。
絶望の淵から脱出するためにはユーモアが必要という単純な話でもなく。ユーモアとか笑いというものはいったいどういうものなのかというのも一言では語れない。そして、崖っぷちとはいえ、私自身が絶望の淵に立たされているかというと、現実ががけっぷちなのと絶望の淵にいることはイコールでもない・・・単純には語れないことだらけで、どんな対話になるかまだよくわからないのですが、せっかく高野山真言宗のお寺さんですし、今年の私のテーマである即身成仏による命のサバイバルの話(なんだそれはと突っ込まれそうですが)や、火鉢カフェや寺子屋など人の集まる場作りの話まで、お寺さんのイベントらしい対話ができたらなと思ってます。
大学の先生を招いて哲学講座などもやっていらっしゃる高福院さんのオンラインイベントで、私ごときの話を誰が聞きたがるのか・・という思いもありますが、今回は講座ではなく、あくまでも対話です。宇多田ヒカルの「絶望の中のユーモア」から口火を切りますが、話はどこに向かって行くかわかりません。
ただ、終わった後に、このしんどい時代を生きのびる勇気が少しでも湧いていたらいいなと思います。私自身がその勇気をもっとも欲しています。
なんだか真面目な語り口の告知になってしまいましたが、「ユーモア」って言葉がつくくらいですから、楽しい対話にしたいと思います。でも、笑いってただ楽しいわけじゃないですし、そこらへんも踏まえた「絶望の中のユーモア」を語れればと思います。

zoomミーティングを使って行いますので、参加者の方を交えての対話の時間も作る予定です。是非、参加して、ご発言ください! 

2020年12月24日木曜日

「火鉢と雅楽で初笑い」 出演:カニササレアヤコ 少数限定&zoomリモートライブ開催


 

火鉢のある古民家で、お正月、笙の響きに耳を傾けませんか?

笙を吹くのは、先日フジテレビで放送された「細かすぎて伝わらないモノマネ」に出演し、笙による井の頭線のモノマネを披露したお笑い芸人のカニササレアヤコさん。今回「雅楽で初笑い」として、テレビでは見られなかった数々の雅楽芸とお正月らしい曲を火鉢のある古民家で披露していただきます。

笙は演奏する前、温めてから使います。最近では電熱器などを使うことが増えましたが、伝統的には火鉢の炭火で温めていました。当日は、そんな笙と火鉢の関係や、笙という楽器のお話も伺えればと思います。

また、ロボットエンジニアとして会社勤めをしているカニササレさん。聞けば、大学もロボット専門ではなかったとか。

そもそも、なぜ笙をやっているのか、なぜロボットなのか、そして、なぜ笙でお笑いなのか…。youtubeをみれば、ピアノも弾いてるし、暇書道って言って書も書いてるし、スキル多すぎ!

多くの人が両立など考えもしないであろう事柄をなぜすべてやめないで続けているのか…。そのあたりの謎と、その体力、精神力についても伺ってみたいと思います。

ライブのあとは火鉢の炭火の映像などを画面上に流しておきますので
火を眺めながら、お正月のゆっくりとした時間をお過ごしください。

出演:カニササレアヤコ    

日時:2021年1月3日(金)14時~17時(うちライブ1時間程度) 

場所:古民家スペースそら塾 台東区根岸3-13-25    

参加料:現地参加 2000円(お茶付き)募集人数:先着限定5名    

    zoomリモート参加 1000円  

【参加申し込み】

<zoom参加>

申し込み方法1 note登録されている方

zoomでの参加は以下のnoteの有料記事を購入いただくと、特典として参加IDとURLをお送りします。参加をご希望の方は、この記事をご購入ください。ご購入いただいた方にはメッセージ機能により、イベント開催前日にzoom参加URLをお送りいたします。

https://note.com/hibachi_club/n/nfa19f8e40e4f

申し込み方法2 noteに登録されていない方

通販サイト「火鉢クラブショップ」の以下のページにて、参加権をご購入ください。支払いは銀行振り込みで、年明け、イベント後でも結構ですので、1月8日までにお支払いください。

http://hibachiclubshop.com/?pid=156489873

【zoomが使えない方】

今、zoomが使えないという方向けに、youtube限定配信できないか検討中です。可能になったらこのページや火鉢クラブのTwitter @hibachi_club  火鉢クラブのfacebookページなどでお知らせします。その場合も上記「申し込み方法2」の火鉢クラブショップで参加権をご購入ください。

<会場参加>5名限定sold out

また、ライブ会場のそら塾は、コロナ対応のため、限定5名の募集となっております。そちらの申し込みは以下のサイトからお願いします。

http://hibachiclubshop.com/?pid=156435443

【申し込み期間】12月23日(水)夜8時申し込み開始~1月1日23時59分

当日の内容は少しずつSNSなどで紹介いたします!

どしどしご参加ください!

2020年11月10日火曜日

ファイヤーラジオ#007 「著者と語る話題の本『手の倫理』ゲスト伊藤亜紗」アップしました!


ファイヤーラジオ#007 「著者と語る話題の本『手の倫理』ゲスト伊藤亜紗(東京工業大学未来の人類研究センター長)アップしました!「ふれる」と「さわる」はどう違う?是非聞いてください。

7月以来、久々にお届けするファイヤーラジオとなりました。今回は、今話題の本「手の倫理」の著者・伊藤亜紗さんをお招きして、この本の内容を入り口に、コミュニケーションについていろんな角度から語りあっています。 伊藤さんは東京工業大学の未来の人類研究センターのセンター長で、中島岳志さんとは東工大の同僚。現在はこのセンターで「利他プロジェクト」を一緒に進めている仲。 まずは本の冒頭で触れられている、「ふれる」と「さわる」の違いからトークは始まりました。そこから、火を囲んで生まれるコミュニケーションと「ふれる」ということの関係、「待つ」ことの大切さ、本当の意味での「利他」とはどういうことか・・などなど、話はいろんな方向に拡散し、1時間では語り尽くせないほどでした。 それほどに、この「手の倫理」は、私たちが普段無意識でやり過ごしている感覚を思い出させ、様々なことを考えさせる本です。 今回のファイヤーラジオ、「手の倫理」を読んでから聞くもよし、ラジオを聞いてから本を読むもよし。でも、どちらにしろ、ラジオと本、両方を合わせて「手の倫理」について考えていただければと思います。 4ヶ月ぶりのファイヤーラジオ。しばらくお休みしてしまいましたが、このあたりからまた以前のペースで再開したいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。

2020年10月6日火曜日

「治らない病」について考える2冊と医学書院の「ケアをひらく」シリーズ

【「治らない病」について考える2冊】

ある読書会の次の課題図書として「食べることと出すこと」(頭木弘樹・著)という潰瘍性大腸炎(難病指定)を患うの人の書いた本を読み始めた。「治らない病」を抱えるものの日常(非日常)が書かれていて、今日拾い読みした部分に、「治らない病気なんです」と言うと、「いえ、治りますよ」と否定されてしまいウケが悪いという悩みが書かれていた。その「いえ、治りますよ」はなぐさめるつもりか、もしくは治らない病気があるということへの恐怖ではないかと著者は推察する。どっちにしろ「治りますよ」という側も本当に治ると思っているわけではない。




がんの再発転移もそうだが、医師から「治らない」と言われる病気はいくつもある。坂口恭平が言ってたが、彼が患っていた躁鬱病も「治らない病」なのだそうだ。しかし、彼は自分でそれを治したという。少なくとももう1年は症状が出ていない。先々はどうなるか分からないから、それを一般の医師は「寛解」(一時的に良くなる状態)と呼ぶのだろう。坂口自身は自らのメソッドにより、日々、畑仕事をすることなどで再発を防いでいるようだが、これで寛解状態が2年3年と続き、ずっと出なければ彼は本当に「治らない病」を治したことになる。坂口の立場に立てば、「いえ、治りますよ」はなぐさめではない。

科学的か非科学的かはおいといて、坂口恭平の新刊「自分の薬をつくる」も「食べることと出すこと」と合わせて読んでみたい。両方合わせて初めて病というものの本質が見えてくる気がする。そして、その後に「私自身の病を治す」ということについて、考えて、できれば書いて、次に出す冊子の中の一テーマにできたらと思う。



【医学書院のケアをひらくシリーズ】

それにしても、この「食べることと出すこと」の版元である医学書院のケアをひらくシリーズは面白い本揃いである。結構前から続くシリーズのようだが、現在50冊近いシリーズの中には賞をとった本がいくつも。坂口恭平も自らの躁鬱病について「坂口恭平躁鬱日記」で書いているし、大宅壮一ノンフィクション賞をとった川口有美子さんの「逝かない身体」もこのシリーズ。中島岳志さんと東工大の未来の人類研究センターで利他プロジェクトをやってる伊藤亜紗さんの「どもる体」も。同じく國分功一郎さんの「中動態の世界」は小林秀雄賞をとっている。写真には写っていないが、細馬宏通さんの「介護するからだ」もこのシリーズで、これら4冊が同じケアをひらくシリーズだとは知らずに買っていた。後者3冊拾い読みしかしてなかったので、あらためて読んでみようと思う。

そもそも医学書院って医療関係者向けの専門書などが中心の出版社だと思うが(ずっと昔からそういう本もあったらすいません)、その中で、患者や介護者の視点からのシリーズを作ろうと考えた編集者の意図を聞いてみたい。医学(治療)の世界では普段語られないような哲学的な視点から、病をケアするということを考えるシリーズだ(と思う。上記4冊しか持ってない上、まだ拾い読みしかしていないので・・)。

オーダーメイド医療の時代、一人ひとりで治療法も違ってくると言われる中、もはや医師任せだけの医療は成り立たないということが自覚され始めている。

ロボットではない人間の体は、機械の部品を変えるほど簡単には治らない。病は気からというように、体は意思に支配され、しかし、意思通りに体は動いてはくれない。そんな身体の真実には、自分の体を内側から主観的に感じられる自分と外側から客観的に診る医師との信頼のもとに行われる共同作業でしか近づけないはずだ。そういう現実の中で行われるべき「ケア」とはどういうものか?ホリスティックな「治療」とはどういうものか?考えるときに来ている。

現代医療の進化により、近年の私たちは全て医者頼みにし、自分にしか分からない体の反応にあまりにも鈍感になりすぎていた。薬で治ると、病を甘く見すぎていたところもある。そのツケが昨今の生活習慣病の激増ではないだろうか。「病」がこれほどまでにポピュラーになりながら、「病」と「自分」との距離は遠のいている。そんな現代に、患者(予備軍も)や介護者の側が主体的に自らの身体や病について考えを巡らすための書物が色々な角度から書かれるのは当然かもしれない。

身体とは何か、病とは何か。
それは自分とは何かを考える行為でもある。
「病」を語ることは人間を語ることであり、「医」を語ることは社会のあり方を問うことにもつながる。

「ケアをひらく」の編集者さんと話がしてみたいなあ。