2020年2月4日火曜日

冊子ファイヤー番外コラム「命の火〜がんと貧困」

フェイスブックのタイムラインに朝日新聞掲載の、非正規雇用の独り身女性のガン患者の記事が流れてきた。お金がないことで命の火まで消えそうになってはいけない。
現在、冊子「ファイヤー」の2号を出す余裕がないので、ブログの方に、都度書いた記事をアップしておきたいと思います。フェイスブックに思いつくまま書いたものなので、雑な部分もありますが、よければご一読ください。

私がこの先、考え、世の中に問うべきことのひとつはこれなのかもしれない。

自らもガン患者として、世間には見えてこないこういうガン患者はどうしているのだろうという疑問をずっと抱えてきた。闘病記に登場するガン患者は大抵、献身的な家族に囲まれ、さまざまな治療を選ぶ経済力があり、その前提で回復を模索する。この記事の患者のように独りでがんに向き合う人は、こういう闘病記を読むと、かえって独り身の自らが辛くなる。かくいう私もそういう気持ちになることがあった。

お金も、頼れる家族もない人間はどうすればいいのか・・。この記事に解決法は書かれていない。読みながら、それを考えることは、もしかしたら私のような人間の使命のひとつではないのかと思えた。

いくら高額療養費が出たとしても、自己負担が5~7万円くらいは必要だ。それに、役所からお金が戻ってくるまでは建て替えねばならず、それさえ厳しい人は世の中にたくさんいる。抗がん剤治療になれば、一度の負担では済まない。この記事の方のように、月の手取りが11~14万円で賃貸住宅暮らしでは、どうやったって毎月の治療費は賄えない。
生活保護を受け、治療費も出たとしても、代替医療を希望する場合、保険外診療の費用は出ない。そうした患者が自らの意志に沿った治療を行えるにはどうすればいいのだろうか。それは、私自身が今後どうしていくかとも関わる。

私も「経済的に厳しい」という理由で以前、手術を勧める医師の申し出を断った。ただ、私の場合は再発で、転移も危ぶまれる手術だったため、他の方法を模索したいのもあった。しかし、そのときまったくお金がなかったのは事実で、しばらくは代替治療を選ぶこともできなかった。

そこで、最近、かつてやっていたフルタイムの仕事を再開したのであるが、やはり、深夜になることもあり、体に良いとは言えない。こういうとき夫がいれば、しばらく休んで治療に専念するのに・・と思うが、今頃後悔しても遅い(それに、そのためにパートナーが欲しいわけじゃないからね)。
背中にお灸して欲しいとか、肩揉んで欲しいとか、手を握ってて欲しいとか、そういう安心がいかに大切かが病気になって初めてわかる。

で、唐突に解決法の提案なのだが、
例えば、治療を受ける間、生活保護を受けるガン患者が集って暮らすホームのようなものが家賃の安い地方にあったらどうだろう。ガン患者はかなり末期にならない限り普通に生活できる人が多いので、生活保護を受けずとも、近くで体に負担のない程度に働きながら、そこで暮らす。地方の空き家を利用して、家賃の負担はひとり1万円程度に抑える。

そこでは、自家菜園で無農薬野菜をみなで栽培し、食事はすべて無添加のものを自分たちで自炊して食べる。
朝の散歩、軽い運動、心のカウンセリングなどを行う。勉強会的なことや、ただの身の上話を語り合うだけでもいい。

生活保護や、この記事の女性の手取り額13万円程度では一人暮らしの家賃と治療費は賄えないが、そういう人が何人も集まって、地方で暮らせば(都会でも物件によっては可能かもしれない。それができれば治療の選択肢は都会の方が多い)、治療に回せる費用も増える。そういう施設を作ることで、地方にもガン治療の拠点が増え、治療の選択肢が増えるということにはならないか。

言ってみれば、身寄りのないガン患者の駆け込み寺である。
思いつきで書いている部分もあり、きちんと考えていくと、問題点も浮上するのだろうが、これから一人暮らしの老人が増えていく社会で、考えるべきことの一つだと思う。
まして、私はその当事者なのだから。

私も今、自分の再発がんをどう治していくか、完全に治らないまでも、ずっと長い間共存していけるか方法を考えている。それは自分の人生をすべて見直すことでもあった。そして、自らが人生に真正面から向き合ってこなかった結果がこの病なのではないかと思い至り(すべての患者さんがそういうわけではないですが)このところ、ちょっと希望を失いかけていたが、いや、だめだ、生きねばならないと思い始めたところに、この記事に出会った。

まだ私はこうして記事を読んで、こんな世の中をなんとかしたいと思える余裕があるのだ。それだけ恵まれているのだ。そんな私が希望を失ってはいけない。

がんの特効薬は希望だとつくづく思う。
記事の彼女と全く同じではないがいろんな問題の当事者の私ががんを克服することで勇気付けられる人もいるだろう。
そして、克服できたら、そういう人たちが心安らかに治療に臨める道を考えねばならないのかもしれない。

もちろん、私には他にもやりたいことがある。それを犠牲にはしたくない。がんを治す特効薬はやりたいことをやるってことでもあるというから。だから、将来の「やるべきことのひとつと」して、上記のようなことも考えられればいいなと思っている。そして、誰かやってくれないかなあとも。

有料会員限定記事とあるから、リンク記事読めない方いたらすいません。

追記>>
病院に見放されたガン患者、お金がなくて治療ができないガン患者はどうすればいいのか。もう奇跡に頼るしかないのだけれど、奇跡という一発逆転を目指す権利を得たと前向きに考えて、今は奇跡と考えられている自助努力による体力増進、免疫活性を目指す方法に心おきなく進むというのもあるんじゃないだろうか。ホスピスという選択肢は残しつつ。

もちろん、経済力もあって、早期の方、初発で手術すれば治る方、自分のガンタイプにぴったりの治療が見つかった方などは、奇跡なんて目指さず、もっと手堅い治療の中から自分の納得のいくものをやればいいと思うのです。ただ、人それぞれ事情が違うから、それが叶わない場合は、奇跡に望みをかけるのもなくはないのかなと思うのです。


病は気からとか、自らを愛せとか、執着を手放せというけれど、自らを本当の意味で愛すること、執着を手放すことほどむつかしいことはない。だからこそ、それが実現することは「奇跡」と呼ばれる気もするし、ほんとうの意味で執着を手放すとか愛するということはどういうことかも今の私はまだわかっていない。










火鉢クラブトークイベント「不便益ってなあに?」終了!

2月1日の「不便益トーク」無事終了いたしました。
これからの商品・技術開発において最も重要なことが、不便益システムを考える中にあると再認識。人間を疎外しない商品やインフラを作るために必要不可欠な考えだ。なのに、企業において、そういう考えを取り入れることは主流になっていないらしい。
不便益研究者、平岡敏洋氏の話を聞いて思ったのは、これは科学技術と人の共存を探る上で、最も重要なポイントだということ。自動運転なども想定外の事故をなくすため、どういう「不便」を残すかを考える。科学に過信せず、人間を疎外せずを模索する学問。広まるといいですね!
なんと、イベントの写真撮り忘れ。どなたか参加者で撮った方いらしたら送ってください!