2015年12月23日水曜日

野坂昭如の遺稿とたき火と火鉢クラブ

今、出ている週刊金曜日に野坂昭如の遺稿となった「俺の舟歌」が掲載されている。話の導入は庭の桜の枯葉の話。

毎朝45ℓのゴミ袋2、3袋になる枯葉。かつては焚火の材料で、焚火は冬の風物詩。でも今や条例で禁止され、子供たちは童謡の「たき火」を知っているのだろうか、もちろん落葉の中で焼いた芋の味など知るわけがなかろう。大人たちの責任。というような内容。

先日、火鉢クラブのイベントにあわせて作った冊子の冒頭は「火のある暮らし、日本の暮らし」として、枕草子の炭火、徒然草の家のつくりようは夏を旨とすべし、そして童謡「たき火」を取り上げ、私なりの言葉を添えた。「たき火」にそえた言葉の趣旨はほぼ野坂さんの言葉と同じで、ちょっと涙が出そうになった。


冊子に載せた童謡「たき火」に寄せる言葉は以下・・・
「今では、たき火は町の嫌われ者です。並木道の落葉はかき集められ、ゴミ袋に詰められて、収集車が集めて行く。放っておけば土に還るはずのものが、わざわざゴミ焼却場に運ばれて行く風景は空しい…。40年ほど前までどこでも見られた、この「たき火」の幸せな風景を私たちは何と引き換えに捨ててしまったのでしょう。火は危ないと言いながら、私たちは今やその扱い方も知らない。」

こうした風景を愛する気持ちはたんなるノスタルジーではなく、自然を愛する心、ひいては自分をとりまくすべてを愛する心につながっている。戦争を絶対にしないという強い気持ちもこうした身の回りの小さな幸せを愛するところから始まるのだと思う。寒さの中のほっとする暖かさを知ることも、お芋を焼いた楽しい想い出も、火の始末がちゃんとできることも、火に責任をもつことも…。たき火にまつわるすべてを、危ないから「触らぬ神に祟りなし」とばかり、すべて捨ててしまったのが今の世の中。そうしたことはたき火に限らない。触らぬ神に祟りなし…。野坂さんが亡くなる直前の別の文章で、「戦前がひたひたと迫っている」と書いたのも、誰かさんのせいではない。私たちすべてのあり方が戦前を呼び寄せているのだ。

私がなぜ「火鉢クラブ」を始めたのか…。野坂さんの文章につられて、つい無粋にも吐露してしまった。政治とはまさに日々の暮らしなのだと思う。

火鉢クラブ通販サイト

火鉢クラブの通販サイトを作ってみました。
先日作った冊子「火鉢くらぶvol.1 2015年冬号ここで買えます。一杯の珈琲と一緒にケーキを食べるように読む「カフェブック」というコンセプトで、今後もミニブックを出して行けたらなあと考えています(今は大赤字ですが…)。カフェなどで販売もしくは、置いていただけたら嬉しいです。5冊以上の購入で1冊30円引き、10冊以上で50円引きとなっております。

火鉢クラブショップ
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