2018年5月18日金曜日

こども食堂から考える〜民間の再分配の場としての火鉢カフェ

今日は固いタイトルになってしまったのですが、荻上チキさんのsession22というラジオ番組でこども食堂について語っていて、私も今、隣町珈琲という喫茶店でやっているこども食堂に参加していることもあり、こうした人の集まる「場」のあり方と自らの理想とする「火鉢カフェ」のあり方についてちょっと考えたので掲載したいと思います。
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私が参加している隣町こども食堂もスタートしてから半年、先月あたりから参加人数も増えてオペレーションも大変になったが、新しいスタッフも増え、次のフェイズに入った感がある。一方で、本当に必要な人に届いているのか、単なる遊び場になっていないかなどやりながらの葛藤もあった。しかし、こども食堂は単なる貧困対策ではない、地域のコミュニケーションの場を作るというもっと広い意味で捉えようというのがスタッフ間での共通認識でもあった。
そして、荻上チキのラジオで語られていたことも、概ねそういう話であった。
誰もが目を細める子ども食堂という名目で、お年寄りが来たり、いろんな世代が集まる口実になる。湯浅さんが、「つながりの貧困」という言葉を使っていたが、まさに子ども食堂っていうのは、そういうつながりの貧困を解消する場づくりのための突破口みたいなものなんだろう。

貧困には3つあって「お金がない」「つながりがない」「自信がない」と指摘していたが、誰もが訪れやすいこども食堂という場所はまさに全世代に「つながり」を提供する場所として機能しうる可能性を秘める。金銭的な面で本当に必要な人に届いているのだろうかという疑問は常にあるが、そこでやったことが、また別の局面を作り出することもある。

今朝、私のところに近所のおばあちゃんがお金を貸して欲しいといらして(この話は私のフェイスブックのタイムラインに投稿)、本当に今、私もお金がないので、泣く泣く断ったのだが、私にって来るっていうのはよっぽどのことで、たぶん、他に相談する場所がない。つまり「つながりの貧困」状態でもあるんだろうと思う。

民間ができるつながりを提供できる場について考える。

私が以前から考えている「火鉢カフェ」は、火を囲みながら、お茶を飲みながら、こういうつながりも提供できる場のことなんだろうと改めて思う。

カフェというインフラがあって、こども食堂というのは一つの突破口で、そのほかにいろんな営業や活動をやることによって、いろんな属性の人が集まり、一つの店の中で「所得の再分配」のようなことが起こるといいのではないか。「所得」だけではない。「つながりの再分配」とか、いろんな人が一つの場に出入りすることによって、そうした人々が直接は繋がらずとも、誰かが持ってきた金銭や知恵や、いろいろな恩恵が必要な人に届いて行く仕組みとか場所。来るもの拒まず、お客さん選ばずの姿勢ってそういうことなのかな・・・とか考える。

「再分配」とは行政の専権事項ではない。
民間での再分配とはどういうことか、所得に限らない幸せとか笑顔の再分配みたいなものについて考えてみたいと思った。

火鉢カフェのキャラ「火鉢さん」は、心が寒い人に炭火で暖かさを届けるアンパンマンみたいな存在として構想したが、これこそが「つながりの再分配」ってことなのではないかと思う。その再分配は多分、あんパンをあげるとか、お金の支援をするとか、簡単に目に見える方法では行われないのだろう。

カフェを訪れる人はそこで自分が好きなことをしているだけなんだけれど、いつの間にか自分の落としたお金が他のことで活用されていたり、自分の交わした会話が、他の人の助けになっていたり、気づかないままに行われる再分配。それが火鉢カフェの目指す「場」なのかもしれない。

それにしても、ラジオに登場されたこども食堂運営者の方の優しい目線には、自分の短気とか、斜に構えた姿勢とかをちょっと反省させられ、改めて、「場づくり」をちゃんと考えたいと思った次第。

子ども食堂っていろんな気づきをもたらしてくれるな。やっぱりやってみてよかったとおもう。

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